LTVをベースとしたマーケティングの再構築を提案

――書評『シングル&シンプルマーケティング ~個客に深く長く寄り添い、利益を伸ばす』

2018/10/19
  • facebookでシェア
  • twitterでシェア
  • G+1
  • はてなブックマークに追加


シングル&シンプルマーケティング ~個客に深く長く寄り添い、利益を伸ばす
発行日:2018/8/24
著者:本間充
発行:宣伝会議

文:大下文輔

The One to One Futureふたたび

こんな文章がある。

今や情報テクノロジーの発展により、企業は顧客「1人1人」を把握し、彼らと1対1で対話を続け、そして個別の仕様に従ってカスタマイズした製品・サービスを提供することが可能になった。(中略)
顧客シェアへの志向、個別フィードバックと顧客との協働との推進、規模の経済から範囲の経済への転換、製品の差別化よりも顧客の差別化、顧客を製品に合わせるのではなく、製品を顧客に合わせるといった原則……

これは今からおよそ四半世紀前、1993年に出版された『The One to One Future』の日本語版『ONE to ONEマーケティング』に寄せた序文の一部で、1995年にドン・ペパーズとマーサ・ロジャーズによって書かれた文章だ。
当時インターネットはまだ一般には普及しておらず、前提となっている「情報テクノロジー」とは、双方向ラジオ、ファックス、(パソコン通信ベースの)電子メールなどであり、その先のものとして双方向コンピュータ・テレビなどが想定されている。

ペパーズらは、1960年代からのマス・マーケティング(およびその同類としてのセグメンテッド・マーケティング)を批判し、それらの製品中心思想に代わる新しいマーケティングのパラダイムとして、One to Oneマーケティングを提唱した。
引用文中の顧客シェアとは、顧客個人における製品シェアのことであり、最近よく耳にするLTV(Life Time Value)もペパーズらの作り出した用語だ。

さて、今回紹介する『シングル&シンプルマーケティング』は、情報テクノロジーがさらなる進化を遂げた現在、より実現可能性の高い、One to Oneマーケティングの進化形のことである。本書を読んでいると、ペパーズらの本を読んだときの感覚がよみがえる。

今、なぜOne to Oneなのか

本書の著者である本間充氏は、タイトルにもなっている「シングル&シンプルマーケティング」を、次のように規定している。

1) One to Oneマーケティングの進化形で、One to Oneマーケティングが抱えていた3つの壁を打ち破るもの(p.52)
2) マーケティングのターゲットを明確にし、そのターゲットに長い間寄り添うマーケティング(p.130)
3) 今までのセグメンテーション、ターゲティング型のマーケティングに、LTVの考え方を組み合わせ、考え方を拡張したマーケティング(p.132)

今、なぜOne to Oneなのかを一言でいえば、マス・マーケティングが行き詰まっているからである。仮にマス・マーケティングの投資効率が良ければ他の方法を用いる必要はない。
本書の第1章と第2章の一部で、マス・マーケティングが機能しない理由を立証している。それは、消費者の所得やメディア接触のあり方、多種多様なモノの存在によって、消費者の価値観が多様化するとともに、平均的な消費者像を設定することができないことによる。

ただ、それに対応した形での新たなマーケティングパラダイムへのシフトは進まなかった。中でも有力だったOne to Oneマーケティングも、ペパーズが主張したように、企業が顧客を個別に把握して対話を続け、ニーズに応じた製品を届けることは実際上困難だった。

One to Oneマーケティングの壁

著者によれば、デジタル化されたCRMデータであっても、少し前までは、以下の3つの壁があったという。

1) データ保管期間の壁
2) コンタクト・ポイントの壁
3) 組織体制の壁

データ保管期間については、各企業が顧客データを自社内か身近なデータセンターに保管しており、容量限界があった。
それがクラウド・コンピューティングの登場により、それがなくなり、ライフステージをまたがった経年データを保管することができるようになった。そのことで、ビジネス機会を逃しにくくなる。

コンタクト・ポイントは、かつては小売店舗や電話での問い合わせ記録などがあったが、それぞれが独立して記録されていたケースが多い。
今では、複数の店舗、ウェブサイトの訪問など、コンタクト・ポイントが広がると同時に、それらを何らかの形で顧客1人に対してデータを紐付け、集約できることが可能になった。

組織の壁は、これまで顧客データを、営業部門、マーケティング部門、サポートセンターなどで別々に管理していた可能性が高い。
それを部門の壁を越えて全社で一元管理することができるようになったし、また個人情報保護の観点からも、そうすることが必然になりつつある。

図1.One to Oneマーケティングの進化

図1.One to Oneマーケティングの進化
出典:『シングル&シンプルマーケティング』
本間充(著)宣伝会議発行
(※画像クリックで拡大)

こうした壁をマーケティングのデジタル化によって打開すべきであるし、そのことが実現可能な状況になっている。そのような状況下で、ターゲットセグメントを明確にし、そのセグメント中の個人別にそのニーズに応じて適切な働きかけを行って満足度を高め、長期にわたって良好な関係を築き、利益を維持向上させようというのがシングル&シンプルマーケティングという著者の提案である。

地域に根ざした中小の商店であれば、個人を熟知した商売も可能だっただろうが、それをより大きな規模でできるようにすることが、デジタルの力を使ったシングル&シンプルマーケティングだ、というのが著者の主張である。

プロモーション重視の4Pから「1D2P1V」へ

著者によれば、これまで、マーケティングセオリーの4P(製品、価格、流通、広告)のうち、日本では特に広告・宣伝に相当するプロモーションが重視され、かつてはマーケティングといえば、広告宣伝活動とほぼ同義の状況にあった。

しかし、地域による好みの違いを反映した製品投入(例えば東日本と西日本での味付けの違う食品)によって、流通の一元化が崩れてきていることや、世帯収入のばらつきに応じたより細かな価格戦略が必要になったりする。
また、製品においては消費者の嗜好(しこう)の幅によって、製品ラインの細分化に応じられるようになってきたことなど、単一の製品を広告宣伝で一方的な説明することが効果的でも効率的でもなくなっている。
すなわち、顧客が経済状況やライフステージやライフスタイルや嗜好(しこう)によって、自分にふさわしい商品といった選択をしているということである。そこで顧客の心理や行動を理解することが、マーケティングの中心課題になっている。

主要なマーケティングファクターとして、著者はプロモーション重視の4Pから「1D2P1V」へのシフトを提唱する。1D2P1Vは、Dialogue(対話)、Person(ヒト)、Product(製品)、Value(価値)の4つの要素で、4Pとの名目上の共通項はProductのみである。

図2.1D2P1V

図2.1D2P1V
出典:『シングル&シンプルマーケティング』
本間充(著)宣伝会議発行
(※画像クリックで拡大)

4PのPlaceすなわち流通は、顧客がどこにいるのか未知の場合には、人がたくさん集まりそうな場所に商品をあらかじめ配置して販売するという役割であったが、シングル&シンプルマーケティングでは、最初に商品やサービスを求める人に会ってから関係性がスタートするために、どこで売るかよりも対象となるヒト(Person)がより重要になる。

4Pで重視されていたプロモーションは、マス・オーディエンスに対して、マス・メディアを使ってワンウェイで告知するという形式が中心であった。しかし、シングル&シンプルマーケティングでは、個別の顧客との対話(Dialogue)、すなわち双方向のコミュニケーションを前提とする。

Priceは、商品が大量にある場合は需給バランスで決まることもあるが、小ロットの商品やカスタムメイドの商品がより柔軟に作れるようになった現在、顧客が想定する価値(Value)に対して事業者の提供可能な価格との折り合いで決まる。

そして製品(Product)は、顧客がそのカテゴリーに求めるものがどのようなものであるかをより詳細に見極めてそれに応じ、場合によっては共創するなど、生産手法や技術の進化と顧客との関係性によって変化している。

デジタルマーケティングの基本を再確認する

本書は、デジタルによる技術の進化と、消費者の変化および社会環境の変化によって今後のマーケティングがどうなっていくのかに対する1つの回答である。

マス・マーケティングが行き詰まり、デジタルメディアによる情報の非対称性が解消され、マーケティングの主体が消費者へと移行する。
一方で、消費者の意識・無意識を問わず、行動のモニターやデータの取得が容易になることで、企業は消費者個人(個客)との対話を深めつつ、顧客の体験をよりよいものとし、満足度を上げることで、関係性を強固なものにすることがマーケティング活動の主軸になる。
個客のLTV、すなわち長期にわたる売上によって利益を確保すること、すなわち離脱を防いで顧客維持に注力することで、マーケティングROIをよりよいものにしてゆく。これがOne to Oneの進化形としてのシングル&シンプルマーケティングのありようだ。
そこに、考え方の新しさは見いだしにくいが、本書では、そうした(デジタル)マーケティングが目指す方向とその実践に向けてのアドバイスが平易に書かれており、基本の流れをしっかりと理解できるという点で本書を読む意味がある。

 

記事執筆者プロフィール

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

 

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。
2011年よりフリーランスとなり、マーケティングリサーチやコンサルテーションを行っている。2015年12月よりMarketingBase運営の株式会社スペースシップ アドバイザーに就任。

株式会社スペースシップ 人材募集中!
タグ: