書評をした本について、その本の成り立ちやサイドストーリーなどを直接聞くインタビュー企画の第一弾として、『ここからはじめる実践マーケティング入門』の著者、武井涼子准教授にお話を伺った。
”納得してもらう”はマーケティング・コミュニケーションの本質にかかわる営為
武井さんは、マーケティングで教鞭をとる傍ら、プロの声楽家として二期会に所属し、舞台に立ち続けている。高校のクラブ活動で声楽を本格的に始め、就職などで一時的にレッスンの中断を余儀なくされたこともあったが、ずっと音楽には打ち込んできたという。MBA取得のためにアメリカに渡った時も、声楽のレッスンを受けられる音楽大学が近くにあるニューヨークかボストンの二つに的を絞り、ニューヨークにあるコロンビア大学に決めたという。プロの音楽家としての心構えなどを含め、アメリカで多くを学んだとのこと。
二足のわらじを履くことについて、「マーケティングの仕事と音楽の仕事は、自分の作ったものを納得してもらう、という点で共通していると思っています。」という。
この”納得してもらう”という営為は、説得を通して意思決定を促すというマーケティング・コミュニケーションの本質にかかわることだ。例えば、本の176ページには、ブランド戦略の要素の二つのうち一つは”どうしたいのかという発信側の意思”であり、”「お客さんはどう思うのか」という受け手側の受け入れやすさ”だと記されている。
特に力を入れたのが第二章と第三章とのこと。調査軽視でものごとを進めようとする風潮に対し、第二章では、「勘や好みではなく、説得力のあるマーケティングロジックをたて、ビジネスの結果に責任を負うというマーケターの矜持をもつべきだ」、との思いがあるという。「デジタルの時代になって最も変わったのが、リサーチが気軽にできるようになったことです。そのメリットを活かして欲しい。」
マーケティングの基本的な部分は変わらない
ブランド、というコトバで日本のビジネスパーソンが海外の人と話すと、未だに誤解が生じることがあるという。ブランドの概念や作法を無視してブランドをいわゆる高級ブランドという意味合いで話してしまい、話がかみ合わないのだそうだ。
武井さんによれば、「アーカーのブランド論も、ケラーのブランドマネジメント、シュミットの経験価値マーケティングも、90年代後半から2000年代初め頃、コトラーのマーケティングマネジメントに到っては60年代。けれども、こうしたマーケティングの基本的な部分は、当時から変わっていないんです。例えばよく使われるようになってきたNPS*も、ブランド・ロイヤルティの一つの表現形式です。スキルの部分に関して付加されたり、他のバズワードに置き換わったりしても、本質はほとんど変わりません。」
デジタル業界人のマーケティング参入、「視野が狭いと感じることが多い」
この本で目指したのは、マーケティングの初学者に、マーケティングを幅広く捉えてもらうことだったとのこと。「マーケティングのプランを立てる、リサーチをする、ブランドマネージする、デジタルマーケティングの知識と共に経験価値マーケティングをベースにしてCRMを実践する、この4点を軸にしました。これだけ包括的な内容のマーケティング本は珍しいとよく言われます。」と語る。「デジタル業界の人がマーケティングに参入してくるようになったのですが、視野が狭いと感じることが多い。マーケティングの全体を知って欲しいと思います。」
全体を概観する、ということはそれだけ内容的に盛りだくさんになる、ということでもある。この本で一番苦労したところも、いかに無駄をそぎ落としてスリム化するか、という点にある、という。「講義を書き起こしてみると、今の分量の2倍半あったんです。それを削りに削って、これ以上は削れない、というのが今のレベルです。それでも同じシリーズの教科書より、ページ数も増え、価格も若干上がってしまいました。できれば第四章はもう少し書きたかった。」
この本の背後にはそれだけ多くの文献やトピックが含まれているということである。エッセンスが詰まった本だとも言える。最初の一冊はこれでOKと表紙に書かれているのも納得がいく。
この本を読んだ人が次を読むとすれば何をお勧めしますか、との問いに、武井さんはコトラー、アーカー、ケラーの主要著作を挙げた。あくまでも本質的なものを求めよ、ということなのだろう。同時にこうも加えた。「本を読むのももちろん悪いことではないですが、今の時代ですから、この本で気になるコトバがあったらネットでどんどん調べていただければいいんじゃないかと思います。」
かく言う武井さんも世に言う「調べ魔」だろう。インタビュー前の雑談で、話している途中でその話題に関連したことを手持ちのPCで調べていた。お仲間だねえ、と思える瞬間だった。
(筆者注:*本の214ページに書いてある「友達にも勧めるか?」という質問によって導き出すスコア。Net Promoter Scoreの頭字語。ベイン・アンド・カンパニーのフレッド・ライクヘルドによって2003年に提唱された。)
インタビュー日時:2015年12月21日
場所:グロービス経営大学院
インタビュー、構成:大下文輔
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |