文:大下文輔
佐藤さんは現在、美術大学で広告論・マーケティング論・メディア論の教鞭をとっているが、それ以前はずっと広告制作にクリエイターとしての関わりをもっていた。
コピーライターからクリエイティブディレクターへ
大学では社会学と社会人類学を専攻していたが、卒業後はADKの前身である旭通信社に入社した。なぜ広告か? と尋ねたら「書く仕事がしたかったから。新聞記者かコピーライターになろうかと迷ったのですが、ジャーナリストは世の中の良くないところを見つけて指摘するのが仕事なのに対して、コピーライターは物事の良いところを見つけるのが仕事だ、と気づいたのです。そこで、コピーライター養成講座に通ったり、大学に広告研究会を作ったりしました。旭通信社ではコピーライターを新卒で採用したことがなかったのですが、第1号として入社できそうだったので入社を決めました」という答えが返ってきた。会社を選ぶ前に仕事を選んで、そのための準備をした、ということだ。
広告会社のクリエイティブ部門では、主にコピーライター(文章担当)とアートディレクター(ビジュアル表現担当)の2つの専門職があるが、その経験を積んだあと、CD(クリエイティブディレクター、クリエイティブの現場統括職)になるのが一般的。佐藤さんも30代半ばでCDになったそうだが、CDには向き不向きがあるという。「CDは視野の広い、管理職的要素が求められます。つまりコピーライターは書くことが仕事だけれど、CDは書かせることが仕事になる。アートディレクターにも指示を出し、マーケティングや営業などの他部門や、クライアントとも話さなければならない。もともと僕は20代からクリエイティブ部門の中では、理屈立ててプレゼンテーションテーションができるのでCD向きだと言われていました。でも、左脳を使うことが得意というのは、コトバに対する感覚やひらめきを必要とするコピーライティングが下手だと言われているようで、嫌だったのだけれど」。
文化の異なるBBDO社で学んだことの影響は大きい
その後、佐藤さんは約8ヶ月間ニューヨークに滞在する。当時、旭通信社と提携していたアメリカのBBDOという広告代理店でクリエイティブのあり方を学ぶためだ。「誰かBBDOに行かせるべきだと提言し続けていたら、自分が行くことになった」という。コピーライターはコトバのニュアンスを駆使する仕事なので、英語が母国語でない日本人クリエイターは、より高次元で広告制作に関わる立場でないと、派遣は厳しかっただろう。
「BBDOでは、とにかく分業システムがしっかりしていることが印象的でした。テレビCM制作では、外部の演出家まかせにせず、編集にもしっかり立ち会ってコントロールするなど、日本での役割意識との違いもあります。クリエイティブ・ブリーフに基づいて、クリエイターとプランナー(日本でいうCMプランナーではなく、アカウントプランナーやストラテジックプランナー)が整然と仕事を進めてゆくことも感覚が違っていました」。
プランニング部門の専門性が確立していなかった(少なくとも)当時の日本の広告制作環境では、クリエイティブ部門とマーケティング・戦略プランニング部門の衝突が絶えなかった。また、仕事の受け方にしても、「BBDOの場合はクライアント数を絞り、そこに人数をかけて大きな仕事を守る、というスタイルでした」とのこと。
この時の経験が、のちのキャリアに大きく影響していることは想像に難くない。クリエイティブ制作方法のほか、組織のありかたなども参考になり、その後社内でクリエイティブ部門を管理するクリエイティブ計画局のヘッドという立場になった際にも役に立ったようだ。国際広告賞の審査員になった際も、同様だろう。その後、クリエイティブをマネージする立場から経営方面にも関わりを持つ中で、仕事をしながらMBAの学位をとったのだそうだ。
広い視野を持って、広告主の意識を変えていきたい
「実は、MBAをとった青山学院大学の小林保彦教授が、旭通信社時代に僕が月5-6本書いていたBBDOの研修レポートを読んでいて、ほめてくださったのです。それが縁で、後々大学教授になるよう強く勧められて、ご自身が美大でお持ちになっていた講座を、僕が教授になって継いだという経緯があります」。
佐藤さんは、ADK一筋から大学教授に転身する間、他の広告会社を経験している。「博報堂DYMPは、生活者(ひいてはクライアント)のためにも、正しいことをやろうという気概のある会社でした」。
こうした経験を踏まえて、『「これからの広告」の教科書』は書かれた。
「これからの広告」の「これから」には、インターネットによるメディアとオーディエンス環境以外に、グローバル化の加速という要因も含まれている。それは、海外の広告制作やカンヌ広告祭審査員経験に照らして、過去の日本の慣習にとらわれない広告コミュニケーションのあり方を考えよう、というメッセージがこめられているとも言える。
その視線は、専門性を持たない担当者が2~3年で変わってしまうことも決して例外ではない日本の広告主と、広告会社との関係性にも向けられる。広告主からのお金を対価としてビジネスをする広告会社にあっては、なかなか書きにくい広告主への提言も、大学教授になったことで扱えるようになってきている。この本の読者は広く広告関係者を想定してはいるが、とりわけクライアントの広告担当者の意識変革に留意して書いたとも佐藤さんは言う。「最近では、クライアントサイドの広告部門に関心があり、研究対象として、アンケート調査なども企画しています」。
広告コミュニケーションは、広告の内容や仕掛けといういわば内側の問題から、送り手や受け手の経路をまたがる関係性、また制作体制といった専門分野や周縁の諸問題、ひいてはテクノロジーや文化といった時空にまたがるダイナミズムに至るまで幅広い視点がある。『「これからの広告」の教科書』という本は、そうした360度の視野を持ち、思索ができるバックグラウンドを持った人の作品なのだ。
インタビュー日時:2016年2月17日
場所:麻布十番カフェ Munni
インタビュー、構成:大下文輔
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |