『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』
発行日:2014/6/16
著者:ケヴィン・ケリー
訳:服部 桂
発行:みすず書房
文:大下文輔
デジタルマーケティングというコトバは、デジタルとマーケティングの2つの要素から成り立っている。デジタルが、インフォメーションテクノロジーに根ざしていることから、テクノロジーとマーケティングの関係について整理しておきたいと思った。そこでマーケティングをテクノロジーの側から見通せる本をと考え、本書『テクニウム』を採り上げることにした。
テクニウムは、テクノロジーの性質を総体として捉えるための造語
マーケティングを含むあらゆる事象において、時として、テクノロジーというコトバに対する過剰な期待を感じることがある。楽天的であると同時に、依存的、他人任せの姿勢を感じてしまうのだ。デジタルマーケティングもまた然りである。
本書の原題は、『What Technology Wants』。すなわち、テクノロジーが求めるもの、という意味である。このタイトルには、テクノロジーが一つの独立した存在として捉えられること、そしてそれが自律性、主体性をもって振る舞うことが示唆されている。換言すれば、テクノロジーを総体として捉えてはじめてテクノロジーの本質に迫りうる、という著者のケヴィン・ケリーの主張でもある。個々のテクノロジーは大きなうねりの一コマに過ぎない。そうした推進力をもつテクノロジーの総体を、著者はテクニウムと命名した。
著者によれば、そもそもテクノロジーとは、人間がつくり出したあらゆるものを指す。もっとも人類にインパクトを与えたものの一つは言語である。言語の発明という人類史上初のシンギュラリティ(特異点)によって、人類は急速に地球上に勢力を拡大した。文字も印刷も、火も鉄も農業もコンピューターも郵便もすべてがテクノロジーの範疇にある。
そうしたテクノロジーは、一様に進化を続ける。イノベーションによって一度新しいものが生まれると、次に新しい代替テクノロジーが出てくるまで、後戻りすることなく拡がっていく。
そうしたテクノロジーの進化の様相を決定づける一つのあり方が、エクソトロピーである。エクソトロピーも綴りを含めれば著者の造語で、究極の均質さに向かうエントロピーに対して、秩序を形成し差異を維持するようなもの、を意味する。
生命と相似した進化の様相を見せるテクニウム
テクニウムの進化と、生命の進化を並べて比較してみると、同じ様相が見てとれる、というのが著者の最大の発見だ。地球上で今までに発見された生命の種類を大別すると6つの大部門に分かれる。菌類、植物、動物という3つの界と顕微鏡でしか見えない3つの界。これらはすべて共通の生化学的設計図を持っている。これらの組織の遷移を見たあとで、テクニウムの遷移を見ると、それがほぼ同様の様相を見せているのと同時に、言語がそれら2つの世界を繋いでいる。すなわち、生命の6界に第7界としてのテクノロジーが王国として君臨しているということだ。
著者によれば「テクニウムは生命の6界で始まった情報の再編成を更に推し進めるものだと考えることができる」という。テクニウムを通して、進化の統一理論が試みられているとも言える。
テクニウムの方向性、すなわち生命の望むものを望む、というのが著者の結論であり、それは効率、機会、出現を増す方向に動く。また、生命と共通する性質も同様に増やしていく。それらは、次のものである。
- 複雑性(Complexity)
- 多様性 (Diversity)
- 専門性 (Specialization)
- 遍在性 (Ubiquity)
- 自由度 (Freedom)
- 相互性 (Mutualism)
- 美しさ (Beauty)
- 感受性 (Sentience)
- 構造性 (Structure)
- 進化性 (Evolvability)
マーケティングもまたテクノロジー
テクノロジーは人間のアイデアを具現化したものであることから、冒頭に述べた、デジタル(インフォメーションテクノロジー)とマーケティングは共にテクノロジーだということになる。そうである以上、マーケティングであれ、デジタルマーケティングであれ、長期的な観点からはテクニウムの性質を帯びることになる。
また、宇宙を支配するものの時代区分で言うと、エネルギー、質量のあとを継いで、現代は急速に情報のパワーが増してきている。従ってマーケティングが情報テクノロジーと融合するのは当然だ。マーケティングもまた進化を続けるものであり、それとともに複雑化、専門化、多様化が進み、自由度も増す。今言えるのはそのことである。
マーケティングというコトバが一度も登場しないので、マーケティングについて著者がどう考えているのかはわからない。ただ、マーケティングがテクニウムの性質を受け継ぎ難い点があるとすると、お金という強大な力が介在することと、その背後に「人間をコントロールしたい」という人間の願望あるいは欲望を背負ったテクノロジーであるという理由によるものだろう。
選択肢の自由が増した、すなわち商品の選択肢が増したことは、例えばかつては「米」という一括りで済んでいたものが「コシヒカリ」「ひとめぼれ」といった種別になり、さらにはコシヒカリが「魚沼産」「茨城産」などの産地別に区別されるようになるなど、どんどんと細分化されていったことなどに見られる。マーケターはその細分化の動きに抗うように自らのブランドを選択することを推し進めていく。すなわち、選択の自由に対する抵抗がマーケティングの一つのあり方だろう。
さて、この分厚い本以外にも、テクニウムに関してざっくりと知る方法はある。一つはTEDでの講演を収録したビデオである。これを見ると2006年にはテクニウムの大まかなアイデアはすでに固められていたと言える。また本書が英語で出版されたのは2010年で、その年にもTEDで再び話されている。
また、「『テクニウム』を超えて──ケヴィン・ケリーの語るカウンターカルチャーから人工知能の未来まで」と題された薄手の本にも、日本で行ったプレゼンテーションが紹介されている。しかしながら、7年をかけて書き上げられた本には、そうしたものでは決して得られない深い思索の味わいがある。ページをめくるごとに、テクノロジーの振る舞いについて徹底的に考え抜かれたことが、丁寧な注釈によって伝わってくる。やはり、大きな構想はそれだけの裏付けが必要なのだと思う。読み通すのには少し骨が折れるが、飽きない。この本はテクノロジーを論じた古典になるだろう。
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |