文:大下文輔
今回は、著者ではなく翻訳者のインタビューである。テクニウムを翻訳した服部桂さんは、朝日新聞社に記者や編集者として勤務しながら、ジャーナリストの立場で、メディアやテクノロジーの変化を追い続けてきた。同時に著者のケヴィン・ケリーと親交のある人でもある。1987年から2年間、MITのメディアラボに研究員として朝日新聞から派遣された。
「80年代の日本では『ニューメディア』が話題になっていました。それはインターネットのことではなく、NTTの前身である電電公社によってサービス提供されていた、テレビと電話回線とを利用した『CAPTAIN』と呼ばれるシステムなどのことでした。これからのメディアはどうなるのか、という関心が新聞社としてありました」。
メディアラボは、当時元気のよかった日本の企業も数多く出資し、メディアの未来を研究する場所だった。「メディアラボでは、メディアの未来に関して、抽象的なホラ話ではなく、20年、30年たったらこうなるのだと具体的に形にして見せる、ということをやっていました」。
過去にもあった破壊的イノベーション
今、インターネットの普及で起こっているような大きな変化も、過去を見渡せば何回かあった、というのがこの本に通ずる服部さんの見解である。「例えば19世紀に電信というものが発明されたときには、郵便がどんどん衰退していきました。また、電波の利用によって遠くにあることが今目の前で起こっていることと変わらなくなる。極端に言えば空間がなくなったわけです。それによって、ドイツでは標準時ができました。それまでは、太陽の位置で時刻を計っていたので、東西に離れたある地方の12時と別の地方の12時は同じではなかったのですが、電波を使った時報によって12時という時間が合わせられました。当時普及するようになった懐中時計で時間を合わせてみんなで落ち合うことなどができるようになったのです。また、電信のためのワイヤーから内容を傍受するハッキングのようなことも起こる。さらには、遠くで起こっていることが即時にわかることにより、遠隔地とコミュニケーションをとることを通じて、植民地ができるようにもなったのです。空間や時間といった人間の基本的な部分に係わる破壊的な変化が起きると、メディア、アートなどあらゆる側面に変化を起こします」。
大きな視点で過去を振り返って現代を見通す、という点で著者と訳者の足並みが揃っていると感じた。
「あとから見れば当然のことのようであっても、変化の渦中にあるときはわからない。メディアラボの所長であったニコラス・ネグロポンテは、インターネットによってなくなる業界が出てくる、などと言っていましたが1980年代の後半では、そこまでの構造変化については、みんなピンとこなかったのです。しかし、先の電信の例で見たように、情報のインフラが変わると、その上でビジネスをしているさまざまな業界は大きな変化を起こすのです」。
テクノロジーとの関わり方に見るアメリカの東西文化
服部さんと、ケヴィン・ケリーの出会いは、1990年にケリーが主催した、サイバーソンというバーチャル・リアリティの集まりに遡る。服部さんはそれを契機として、「人工現実感の世界」という本で日本にバーチャル・リアリティを紹介した人でもある。
ただケリーはもともと、テクノロジーは悪だ、という思想の持ち主だった。ベトナム戦争があり、同世代の友人達が命を落とすなどする中、戦争のシミュレーションにコンピュータ技術が使われるなど、アメリカ東海岸のテクノロジーは商業主義や覇権主義と結びついていると西海岸の人には思われていた。「保守的な東を象徴するIBMのPCは大型コンピュータをそのまま小型化し、ドキュメント作成や給与計算といったビジネスの効率化を目指すものだったのです。かたやAppleに代表される西海岸のPCは,反体制的で自由な西の文化を反映しています。コンピュータに未来を感じた今でいうハッカーたちが、大学にあったコンピュータでゲームをするなど、音楽にもコンピュータを使ってみよう、といった個人的な興味を主体とし、みんなでわいわいやりながら、それぞれが個性的なPCを手作りで開発していきました。そうした西海岸のヒッピー文化やハッカー文化を称揚するホールアース・カタログというカタログ誌を発行した、スチュアート・ブランドという人がいます。ケリーは彼に誘われ、ホールアース・レビューという雑誌の編集をすることになりました。その仕事でPCを使い、当時先端的だった通信をする中で、テクノロジーも使いようによっては人間にとってよいものだ、と考えるようになったわけです」。テクニウムという本がテクノロジーの良くない面も視野に入れているのは、そうした背景によるものだ。
「この本を読んだ当初、わけがわからないな、と思いました。テクノロジーは何を望むのか、というタイトルでテクノロジーが擬人化されているし、テクノロジーは宇宙の生命原理に基づくなんて書いてある。ただ、著者がテクノロジーを生命と結びつけるのは、彼が生まれたころにDNAの構造が解明されたことで、生命も情報だということがわかったという事情が絡んでいます。この本は翻訳も大変だったけど、アートの人もテクノロジーの人も、マーケティングの人も皆同じデジタルという共通のプラットフォームで今後は仕事をしていくことになる。そこに働く共通原理として、こういう論を知っておくのは悪くない。今起こっていることを捉えるには、もっと大きい文脈で見た方がわかりやすいことも多いですね」。
この夏出版される、テクニウムのアップデート版
ケヴィン・ケリーの次の本は今年の6月に発売される。原題は『The Inevitable(避けられないこと)』。紹介文によれば、新著はテクニウムのアップデート版で、主に過去30年のデジタル時代の歴史を基軸に12のキーワードに整理し、具体的な事例やプロダクト、方法論を持ち込み、さらにそれが20年後にどういう未来をもたらすかについて論じたものだ、とのこと。抽象度の低い分、読みやすそうだ。服部さんは、その翻訳にも取りかかっており、2016年7月頃に発売予定とのことである。
服部さんの興味は、メディアやテクノロジーを本質的にとらえるために、ものごとを遡って起源や原理から見ることに向かっている。その例として、読み物としても楽しめる、トム・スタンデージ著、服部桂訳の2冊、『謎のチェス指し人形「ターク」』と『ヴィクトリア朝時代のインターネット』を紹介していただいた。
インタビュー日時:2016年3月22日
場所:セルリアンタワー東急ホテル
インタビュー、構成:大下文輔
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |