『インテンション・エコノミー 顧客が支配する経済』
発行日:2013/3/14
著者:ドク・サールズ
翻訳:栗原潔
発行:翔泳社
文:大下文輔
マスマーケティング、すなわち大量にモノを作り、マスメディアを使って大規模なプロモーションを行い、大量に売りさばくというビジネスのスタイルが長らく続いた。それは、インターネットが普及した今も根強く残っている。モノを買う、サービスを享受する、場合によっては浪費する人の集合である「消費者」、その消費者のうちで顧客になってほしいと狙いを定めた対象者の一群を「ターゲット」、消費者の特性に応じたグループに小分けする「セグメンテーション」、といったマーケティング用語はそうした様式に対応している。その背後にあるのは、売り手が買い手をコントロールしようとする思想である。
本書は、モノやサービスの供給者(売り手)が支配的である経済を、顧客(買い手)を中心とした経済への転換をはかることを提唱したものである。その要旨については「Marketing4.0、次世代マーケティングプラットフォーム研究会」の報告記事で紹介した。企業(供給者)が消費者の関心(Attention)を引く活動を軸として成り立っている経済をアテンション・エコノミーと呼び、顧客が自らの意思(Intention)を企業に伝えることで成り立つ経済をインテンション・エコノミーと呼ぶ。
付合契約という理不尽な仕組み
顧客は企業にとっての宝だ、という考え方はもちろんあり、その関係性構築、ロイヤルティの向上に関して相応の投資をしている。手段として用いられるのがCRM(顧客関係管理:Customer Relationship Management)である。これは、それぞれの企業が顧客との関係性を観るというという点で、顧客を「囲い込む」という観点からは企業に支配権のある経済の枠内に留まる。
企業が顧客を支配している、ということをもっとも象徴的に示すのが「付合契約」という契約形態である。付合契約というのは、優位に立つ側が一方的に契約内容を定め、劣位の当事者は一切の修正や留保ができない形の契約を指す。
インターネット上でのソフトウェア・アプリケーションやサービスの利用にあたっては、あらかじめ契約条項に同意しない限り利用者は何もできない、という事態は誰もが日常的に経験することだ。多数の顧客と同時に契約を結ぶ都合上、企業に都合のよい形での付合契約が蔓延することは、ビジネスの運用上仕方のないものとして認められてきた。そして著者は、この付合契約によって、市場から人間性が消え去った、と主張するフリードリッヒ・ケスラーの論文を引用している。
本書の19章において、そうした付合契約主義による囚われから個人が力を増大させ独立性を確保していくことへの予測や期待を、ケスラーを端緒にドラッカー、トフラー、ネイスビッツ、ペパーズ、マッケンナ、ゴディン、ヘーゲルらの論考によって歴史的に概観している。
顧客が支配する経済の道具立てとしてのVRM
そうした一連の流れの中で、2009年にデビット・シーゲルがPullという著著で、「プルの世界では、企業が顧客を確保することはない、顧客が企業を確保するのである。」と書いていることに加え、VRM(企業関係管理:Vender Relationship Management)について詳細に論じていることが紹介されている。
このVRMというのが、CRMに対抗する概念であり、顧客がベンダー(モノやサービスの供給者)を管理するツールとして、著者のドク・サールズがハーバードのバークマンセンターで開発プロジェクトを立ち上げた対象である。
著者はVRMの目的について8つの目的を挙げている。
1)個人が組織とのリレーションを管理するためのツールを提供する。
2)個人を自身のデータ収集の中心にする。
3)個人にデータを選択的にシェアできる権限を与える。
4)個人に自分のデータを、他人がどのようにいつまで使うかをコントロールできる権限を与える。
5)個人にサービス条件を自分のやり方で決定できる能力を与える。
6)個人にオープンな市場で需要を主張する手段を提供する。
7)リレーション管理のツールをオープンな標準、オープンなAPI、オープンなコードに基づいたものにする。
8)リレーションを双方向で機能させる。
パーソナル・データ・ストアと呼ばれるデータにその個人のさまざまなデータを蓄積し、その管理権限を個人の手に委ねる。そうして、VRMをオープンなコードやAPIで実装して、企業による囲い込みができないようにすることで、付合契約主義というべきものから脱却をはかるというのが、著者らが推進するプロジェクトの狙いだ。
自由な市場と自由な顧客
VRMは「既存のビジネスを補完する新システムを開発することで、現在の壊れたシステムを修復し、人間の独立性を活用していくということだ」と著者はいう。
VRM開発の背後には著者を含む4人が1999年に著した、クルートレイン宣言という95のテーゼからなるマニフェストがあり、それがインテンション・エコノミーに向けて著者をかき立てている精神的支柱となっている。
クルートレイン宣言の第一条には、「市場とは対話である」と記されている。
これは、インターネットの双方向性による新しい市場の方向性を端的に示したものだ。ネットワークでつながった個人と企業が互いにクライアントになるという関係性ができ、情報や欲求の非対称性を持たず、相互に対等にリクエストしあうという状態がイメージされている。ネットワーク社会を前提とした「自由な市場における自由な顧客の存在」と「自由な顧客がもたらす高い価値」とがインテンション・エコノミーにとって必要な2要素である。
こうした状況が生まれる必然的な条件は、それが企業にとっても益があることだ。著者は今のマーケティング活動は顔の見えない消費者に対する当て推量だ、と断じている。それが、チェック可能なデータと意思の組み合わせにより、個人の正確な「実像」を対象に取引ができるようになることで、プロモーションの無駄打ちがなくなり、コスト効率をあげられるという理由による。
インテンション・エコノミーへのシフトによりハイライトされるのが、フォースパーティと呼ばれる企業の存在である。個人の意を受けて、ベンダー各社にリクエストをし、その提案の中からベストのものを選ぶ、などを行う企業である。適切な保険を推奨してくれるサービスなどはこれに近いが、顧客のデータを預かり、VRMベースで活動する形態のものはまだ数少ない。
インターネットという「現実の場所」におけるアイデンティティ
どれだけ先の話になるかはわからないが、顧客にまつわるデータの充実に伴って、企業が一方的に顧客をコントロールすることから、顧客が意思を持つ存在として発言権を増す時代にシフトしていくことが、大きな流れとしてほぼ確かに起こる、ということが本書を読んで感じられるところである。
2006年に「ウェブ進化論」が書かれたときには、インターネットは現実の向こう側にある存在として位置づけられていたが、本書ではインターネットを「現実の場所」と認めている。
空間を持たないインターネットという「場所」が現実のものだという実感を伴うのには、そこにいる自分やそこにつながっているものや人の「本物観」や「実在感」が必要になってくる。インターネットにおける自己の属性情報の塊すなわち、デジタル・アイデンティティと、オンライン体験の充実がネットでの実在感を増すものと思われる。インテンション・エコノミーという経済のコペルニクス的転回には、デジタル・アイデンティティの確立が不可分だろう。
インテンション・エコノミーは、個人の解放という大きな変革をもたらすが、企業にとっても個人にとっても相応の痛みを伴うものではないか、とも感じた。企業の痛みとは、短期での成果にとらわれた経営が難しくなることである。そして個人の痛みとは、自由にともなう自己の管理責任である。賢い経済の担い手であることを自由な市場は要求する。
経済の進化は人間の進化と対をなすものだ、と思う。
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |