文:大下文輔

ケヴィン・ケリー氏を引き継いで、筑波大学助教で、「現代の魔法使い」とも言われる落合陽一氏から、今何をしているかという自己紹介を兼ねたプレゼンテーションがあった。レポート後編では、落合氏の発表内容をお届けする。
前編はこちら

このイベントの企画をした服部桂氏は、落合氏を招いた理由として、「Kevinの描いた未来を、今後実現してくれる人」と考えたからだとのこと。

落合氏はメディア・アーティストだが、大学で専門のメディアの変遷について教鞭を執っている。コンピュータサイエンスの研究者でもある。


人間は、イメージと物質の間を埋めるためにテクノロジーを発展させてきた

落合陽一氏
落合陽一氏

自分のアーティストとしての思いは「人間は有史以来、イメージと物質の間を埋めるためにテクノロジーを発達させてきた」というものだ。例えば、1902年に月世界旅行という、人を乗せた大きな大砲を撃ち込んで月旅行をするという動画が作られたが、それを実装する、すなわち現実との乖離を埋めるには、70年の歳月を要してテクノロジーを発達させたと言える。

自分が今、メディア装置を作る作家として抱いている興味は「どうやって物質のような映像を作るか」ということである。フェムト秒レーザーという速いレーザーを使い、VRやARではなく、3次元の自由位置に物質として描くことを試みた。これまでの映像との違いは、それが触れる、触覚を感じるということである。そのことで、イメージと物質の境界線が曖昧になってゆく。このような装置を作り、作品発表をしていくことを僕はメディア・アートと呼んでいる。

フェムト秒レーザーを使い、3次元の自由位置に物質として描いた動画が、YouTubeで公開されている

最近著した本の中では、13世紀から19世紀までに人間が作ってきたカメラ、メガネ、望遠鏡など数々のメディア装置を紹介しているが、中でも希有な発明は映像装置そのものだと思う。それは、映像によって時間と空間が共有できるようになった、すなわちマスメディアの世界が形作られる原動力になったことによる。考えてみれば、1891年にエジソンが発明したキネトスコープは世界最初のVRゴーグルだと言えるし、1984年のキネマトグラフは、世界最初のプロジェクターだとも言える。
それがコンピュータの文脈に入ってきて、1960年代にはアイヴァン・サザーランドがCG装置を作り、その後VRゴーグルを作ったりした。これらの避けられない変化、コンピュータ史における出来事やヒューマンインターフェースの変遷などをどのようにまとめるか、も考えている。例えば1960年代から活躍を始めたナム・ジュン・パイクというビデオ・アーティストが、ビデオ彫刻、つまりビデオ(テレビ)画面を積み上げて彫刻を作っているが、今ならプロジェクションマッピングをやりたかったと思う。だが、当時は高解像度のプロジェクターもなく、ブラウン管を積むしかなかったので、こうなったと想像する。

それに類することを僕も研究していて、どうしたら質感を表現する、あるいは反射分布を変えられるディスプレイを作れるのかを試行しながら映像表現を行っている。実際やっているのは数式を解いてハードウェアに落とし込むことだが、その過程によって新たなメディアを作ることが、今の文化に対するメディア批評性を持っているということをもとに、いろいろ考えようとしている。

今自分が向かい合っている課題は、ユビキタス・コンピューティングをどうやって超えていくか、である。その中で着目していることは、今のメディア装置は人間の目や耳といった感覚器によって制限されているが、それをどう超えるかに関してだ。そのキーワードは、強度が高く(High Intensity)、解像度が高く(High Resolution)、2次元を3次元空間に結像させるようなホログラム(True Holography)の3つだろう。それによって光が直接空中に描けるようになるし、音も触覚を持たせたり、形状を視覚的に表現できるようになるはずだ。そうすると、これまで我々が持っていた「目のための光」や「耳のための音」という概念を超え、何かを僕らに訴えかけてくるはずだ。さらに、将来は、人とコンピュータと音波や電波や光が、一つの生態系(デジタルネイチャー)を形作るだろうと考えている。

デジタルネイチャーの大きな考え方の一つは、物質(マテリアル)と実質(バーチャル)の間には複数の選択肢が存在する、というものだ。例えばお嫁さんが、VRゴーグルの中に入っているのがいいという人もいれば、実在の人間(マテリアル)でなければ嫌だという人もいただろうし、半分ロボットで半分人間というようなセクサロイドのようなのがいい、という人もいるだろう。

僕の研究室のメンバーは、物質と実質、人と機械の組み合わせの中にどのような可能性があるのか、についてさまざまな仮説を立てて作り、研究をしている。例えば、木なんだけれどディスプレイになる、あるいは鏡なんだけれどディスプレイになる、といった、物質としてのプロパティを保ちながらディスプレイとして機能するものを研究している学生がいる。あるいは今のタブレットのディスプレイはガラスだけれど、心臓のようにやわらかくて波打つディスプレイがあったら、という研究をしている学生もいる。あるいは、人間を光や音でどのように(ロボットのように)制御するか、という研究もある。つまり、これまでは人間がコンピュータを制御していたという関係を逆転させて、人間がコンピュータに制御されてもいい、という考え方に基づきます。実例としては、ステージのいくつかのポイントに、特定の音の配列を流し、耳に聞こえる音をそのまま声にして出すと練習なしに合唱ができてしまう、といったことができるようになります。このように人の身体とカメラとロボティクスとAIなど、ありうるシチュエーションをどんどん形にしていこうと考えている。将来は、今物質として存在しているもの以上の価値が生まれてくると思う。それを予感させるように、5感を刺激するようなものを産む研究活動を行っている。

映像の時代に先行した絵画の時代においては、クラフトマンがパーソナライズされたものを作っていた。それが現在を含む映像の世紀に入ってくると、デザインをして皆が同じように使うものを作るようになった。その先にある「魔法の世紀」と僕が呼ぶものは、テクノロジーが個別にできてきて、生態系のニッチ(隙間)を埋めるべく多様な形でどんどん出てくるようになる。研究室で行っている可能性を探る活動はそれに対応しようということなのである。


以上の落合氏の発表について、ケリー氏は「信じられないものを信じてみよう、と申し上げたけれど、挙げられた例は話としては一般には信じがたいものだ。こうしたものをもっとオープンに考えてゆくことが必要だ」と感想を述べた。

ケリー氏、落合氏の発表を見て、マーケティングが今に縛られた対応、すなわち「対症療法的マーケティング」になるのではなく、社会の未来像というものをある程度見据えて今のマーケティングを見ていく必要があると再認識した。ケリー氏の発表にあったように「経験(エクスペリエンス)が新しい通貨になる」ということもそうだし、落合氏も人間行動におけるエクスペリエンスに関して注意を払っている。社会生活や人間のものの考え方、消費の仕方が急激に変化をしている状況を踏まえれば、「その先」のマーケティングがどうなるのか、に関心を向けずにおけないはずだ。

 

セミナー日時:2016年7月20日
場所:朝日新聞社メディアラボ渋谷分室
スピーカー:ケヴィン・ケリー(Kevin Kelly)氏、落合陽一氏
モデレーター:服部桂氏

 

記事執筆者プロフィール

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

 

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。
2011年よりフリーランスとなり、マーケティングリサーチやコンサルテーションを行っている。2015年12月よりMarketingBase運営の株式会社スペースシップ アドバイザーに就任。