朝岡崇史氏

文:大下文輔

IoT時代のエクスペリエンス・デザイン』の著者、朝岡さんの大学時代は野球に明け暮れていたそうである。同じリーグの中でも図抜けて弱いチームなのだが、それでも戦い方の工夫によって強いチームに一泡吹かせることがたびたびあった。その経験によって、戦い方を考える、ということに通ずるマーケティングに興味を持ち、広告会社に入ってから猛勉強したとのこと。

近未来に企業はどうあるべきかを、ブランド体験をベースに考える

この本を書いた経緯を尋ねた。「それをお話しすると、少し長くなります。2011年、ブランドコンサルティングの室長をしていた少し前頃から、当時、電通の顧問であったデービッド・アーカー先生のブランド論の『教科書』にはない事象が起きていることに気がつきました。アーカー先生は、ブランドが単なるイメージではなく、企業のストック価値(資産)であるということを説いた人です。しかし、2006年頃からソーシャルメディアが拡がるとともに、お客さまの推奨や評価というフロー価値の力でものが売れるようになりました。ネット上を飛び交う、ブランドについての推奨や評価は可視化でき、定量的に測定することが可能になったので、それを企業がKPIとして活用してPDCAサイクルを回すことができるようになったことから、ブランドの、フローとしての価値が今後、企業の事業経営やマーケティング戦略を考えるうえで一層クローズアップされるようになるだろう、という確信を強めていったのです。そうしたことを背景に、これからはブランド体験を中核にして、企業の事業経営やマーケティングのありようが変わっていく、という主張を整理して2014年に前著の『エクスペリエンス・ドリブン・マーケティング』を書きました。それから、その本の少し先(近未来)の話として、企業が自社の製品やサービスの『同質化』という課題から脱却するために、企業がお客さまに提供するブランド体験価値をサービスという形で再定義する必要があるだろうという考えに行きつきました。既存のサービス業はもちろんのこと、製造業であっても新しいタイプのサービス業として『なりわい』を変えていかなければ生き残れないというわけです。2020年から先を想定してみると、IoTやAIなどのテクノロジーの浸透は避けて通れません。そうした中で、デジタルのテクノロジーの浸透によって新しい体験が生まれてくるだろうということと、それはどのような変化をもたらすのか、ということがこの本を書いたきっかけです。その変化の本質として考えられるのが、この本の副題でもある『場』から『時間』へということです。つまり、企業はブランド体験価値をこれまでの『場』において提供していた状態から、お客さまと企業がデータを媒介にして限りなく連続した『時間』においてつながり続けるという状態に変わります。IoT時代、お客さまの情報は行動データの形で企業のAIに集約され、外部データ(いわゆるビッグデータ)とも統合されて瞬時に解析(アナリティクス)されます。そして、お客さまの近未来体験の予測と改善提案というサービスの形で、企業からお客さまへフィードバックされるのです。最近、話題になっている自動運転サービスや、欧米のスポーツ用品企業が導入を検討しているウエルネスやフィットネスのサービスを考えると、イメージがつかみやすいと思います」。

そしてこうも付け加えた。「デジタル体験かアナログ体験かという点は、お客さま主語で発想すると区別して捉えられることではありません。オン(デジタル体験)とオフ(アナログ体験)というのは、お客さまのカスタマージャーニーの中でシームレスにつながっていくし、先進的な企業もすでにそのような形で理解を深め、洗練されたサービスを提供しています」。

お客さま主語で企業経営を刷新していくことの必要性

朝岡さんは企業が事業経営やマーケティング戦略をお客さま主語に転換するためには、組織運営や企業文化の刷新もセットで考えるべきだ、という。「ブランド体験価値がブランドの最大の差別化ドライバーになるという傾向は今後、ますます強まっていきます。しかし、一方で企業がお客さまの気持ちに寄り添い、お客さまの体験が豊かになる方向で、自社の事業経営やマーケティングの建付けを変えていくためには、経営者やマーケティング責任者の意識が変わるだけでは不十分です。企業とお客さまとの接点でやりとりされるサービスが改善され、驚きや感動を提供するレベルにならないと実際の事業成果の向上には結びつかないからです。往々にして企業の規模が大きくなればなるほど、組織間のサイロは高くなるし、階層を超えて自由な意見を言う空気は抑圧されたものになりがちです。こういった状況を打破し、お客さまの豊かな体験の実現のためにすべての社員がオーケストラの団員のように全体最適の視点で協働しなくてはならない。現在、朝岡のクライアントさまの業種は、携帯電話サービス、航空会社、銀行、保険、自動車販売など多岐にわたりますが、プロジェクトを動かすときには必ず、組織横断のタスクフォースチームを編成していただいています。多視点でお客さまの体験価値向上に向き合うことで、重大な見落としが防げますし、プロジェクトの終了後にメンバーがチェンジ・エージェント(変革リーダー)として各部署の意識や行動を変えることで、組織運営そのものや企業のカルチャーがよりお客さま主語に変わる効果を期待できます」。

IoT時代が本格的に到来し、AIによるお客さまの近未来の予測と改善提案が企業のサービスの根幹として行われるようになっても、この構造は本質的に変わらないと朝岡さんは付け加えた。「AIは機械であり、道具立てに過ぎないのです。AIで注目されるのは学習機能(深層学習)ですが、最初にプログラムを設計するのは企業の人間です。お客さまの気持ちを理解しないプログラムでAIを動かせば、お客さまにペインポイント(お客さまが失望したりがっかりしたりする点)だらけのブランド体験を提供することになる。例えばGEは風力発電機や鉄道輸送のソフトウエア開発にあたって、お客さま主語で品質を管理するために、チーフ・エクスペリエンス・オフィサー(CXO)という肩書の上級役員をわざわざおいています」。

この本はどのような形で読まれているのだろうか。「想定した読者は企業で事業経営やマーケティングに携わる方々です。企業の中期経営計画は4年くらいのスパンで立てることが多いのですが、4年後となると現実はよくわからない。昨年あたりからIoTが話題に上ることも増えましたが、それをサイエンスではなく、マーケティングの観点からしっかり解いたものがない。そういう事情の中で書いたものなので、話題提供の役割は果たしていると思います。ですから、反論や問題提起は大歓迎です。この本がベンチマークになって、いろんな議論が起これば、と願っています」。

最後にAIについて一言。「人間をどう見るかという問題なのでしょうが、経済学的な効率をベースとした見方でなく、認知心理学的あるいは社会学的に見ると、複雑系、複雑な存在として人間は捉えられます。人間ならではの発想や価値提案といった側面はやはり人間が得意とする分野です。デジタルテクノロジーが進化すればするほど、効率に関わる部分は機械やAIが受け持ち、人間は人間の得意なところを受け持つ、という棲み分けになるでしょう。そうしたことを通じて、フィリップ・コトラーさんが「マーケティング3.0」で説かれたように、最終的にはマーケティングは人間の幸せにつながっていくべきだ、と思います」。

 

日時:2016年7月15日
場所:電通デジタル オフィス

 

記事執筆者プロフィール

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

 

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。
2011年よりフリーランスとなり、マーケティングリサーチやコンサルテーションを行っている。2015年12月よりMarketingBase運営の株式会社スペースシップ アドバイザーに就任。