サービス・ドミナント・ロジックの発想と応用
発行日:2016/7/1
著者:ロバート・F・ラッシュ、スティーブン・L・バーゴ
翻訳:井上崇通(監訳)、庄司真人、田口尚史(訳)
発行:同文館出版

文:大下文輔

「買うのはすべてサービス」という考え方

傘であれ、ギターであれ、何かを買うときはお金をそのモノ(グッズ)に対して払っていると誰しも思っているはずだ。それは、傘などの買おうとする対象に備わっている価値とお金を交換するからだ、という信念が我々を支配しているからに他ならない。だが、グッズには価値は備わっていない、と考えたらどうなるか?

傘を持っていない状況で急に雨が降り出したら、1本目の傘はその人にとって貴重だが、同じ傘を同時にもう1本買わないかと勧められたら、たいがいの人は断るだろう。その場合、雨が降っているかどうか、あるいは傘を持っているか、という状況(文脈)でその人にとって傘の価値は異なる。そこでは、傘というものを「媒介として」雨をしのぐことができた、という経験が価値の源泉だとみなせる。そのことから、「グッズには予め価値は備わっておらず、手に入れて使った人(受益者)のみが価値を判断できる」と考えることもできる。

我々が買っている対象は画一化された価値の埋めこまれたグッズではなく、そのグッズを含むベネフィットを買っている。極めて乱暴な言い方をすると、「他者の便益のために提供されるものをサービスとみなす(※)」、そして「我々をとりまく交換のすべてはサービスとサービスの交換である」というのが「サービス・ドミナント・ロジック」(以下S-Dロジック)の基本的な考え方である。そこで、モノはあくまで価値を媒介する装置に過ぎず、価値は提供者と受益者が共創するものだ、ということが前提となる。また、S-Dロジックのもとで貨幣は「サービスを買う権利」の役割を担う。S-Dロジックに対し、モノに価値が備わっているとする考え方を「グッズ・ドミナント・ロジック」(以下G-Dロジック)という。

ここで注意しておかなければならないのは、保険や医療や娯楽などの産業分類上あるいは会計上のサービス、あるいは事業者が提供する無形のアウトプットを「サービシィーズ(サービスの複数形)」と呼び、単数形で表現されるサービスとは区別することである。サービシィーズとは、「モノでない価値の埋めこまれた形のないもの(いくぶん劣位のグッズ)」というG-Dロジックの枠組みのなかにあるものと考えられる。つまりサービシィーズとグッズはS-Dロジックのもとでは、両者を区別することに大きな意味はない。

S-Dロジックはしたがって「経済のサービス化」という見方をとらない。産業分類がどうなろうが、経済がどのような歴史的な変遷をとろうとも「サービスとサービスの交換」によることが基盤にあるとみなす以上、あらゆる経済はサービス経済「である」のであって、サービス経済「になる」のではない。

説明原理としてのS-Dロジック

本書は、S-Dロジックの提唱者である、バーゴとラッシュの2人が、2004年以降発表してきたS-Dロジックについての考察を一冊にまとめたもので、G-Dロジックが形成され支配されていく歴史的な変遷を辿り、それに対するS-Dロジックの基本的な考え方と枠組みを提示し、その要素や様態について詳しい解説を加え、可能性・展望について論じている。

本書ではS-Dロジックを「マインドセット」あるいは「レンズ」として位置づけている。要はある指向性をもった見方・態度によって物事を見ようとするものである。言い換えればS-Dロジックは世界の説明原理とも言えるものである。

S-Dロジックは、以下の図に示すように5つの公理と7つの基本的前提(FP)から組み立てられている。この前提や公理は絶えず見直され、修正を施されている。

図1. S-Dロジックの公理と基本的前提
(※画像クリックで拡大)

S-Dロジックでは、交換に関わる主体をアクターと呼び、企業、組織、生産者、個人といった区別を排除している。ビジネスに関わることも含めたすべての交換(サービスとサービスの交換)がアクター同志のつながりで、それらは相互に影響を与えながら動的につながる、すなわちエコシステムを形成する、と説く。ビジネスにおけるB2B、B2C、B2B2Cなどの区分も包含する形で、すべてのネットワークはA2A(Actor to Actor)に帰着する、と説明される。
先の傘の例で言うと、傘というものには傘を作る資源(主にはナレッジとスキル)が、さまざまなアクターのネットワークを介して交換されている。こうした資源を相手の便益に対して使うことがサービスの本質だと考えられている。もっとも遡れば鉄を加工した傘の骨や生地などの素材作り、デザイン、組み立て、販売に到るまでさまざまなアクターが関与する。

多数のアクターの存在のつながりによってサービスの交換があらゆるところで繰り返され、さらに最終製品には価値が存在せず、したがって企業(伝統的なマーケティングの主体者)は価値を提示することはできても、価値を付与したり引き渡したりできないということになる。これはマーケティングが企業に主導され、一方的に狙いを定められた消費者に対して向けられるもの、という一方向に流れるものという前提を取り外すものである。

インターネットでそうしたアクター同士の動的なつながりがより活発化するようになると、G-Dロジックでは捉えにくい事象がS-Dというレンズによって明らかになるということもある。なぜ顧客志向であるべきなのか、といった基本的な疑問にはっきりとした理解が得られる。

G-Dロジックが浸透している現実に、S-Dロジックのマインドセットを

G-DロジックとS-Dロジックの対比図を引用する。

図2. G-DロジックとS-Dロジックの対比
出典:石川和男(2012)「サービス・ドミナントロジックとこれまでのマーケティング思想」『専修ビジネスレビュー』Vol.7, No.1
(※画像クリックで拡大)

本書に書かれているS-Dロジックのパースペクティブは極めてスケールが大きい。マーケティングに与える新しい視座という点でも極めてインパクトが大きいモノと思われる。しかしながら、本書を読む上での2つの障害を指摘しておきたい。

1点目に、本書は論理の明晰さを重視していて、用語について極めて厳格である。加えて、抽象度の高い議論が続くため、読み進めるのに忍耐と時間を要する。しかしながら、原典のもつ力を感じるところが多く、読後の充実感もある。本稿に書いたことなど、内容の5%にも及ばないと思われ、是非チャレンジを、というしかない。

2点目は、少なくとも短期的には、現実のビジネスのありようにほとんど影響を与えないだろうと思われることである。S-Dロジックについてよく理解したとしても、売上向上にどうつなげるのか、という疑問や期待には応えてくれない。本書中に繰り返し述べられているように、現実ではG-Dロジックが深く浸透していてビジネスのやり方に強い影響を与えている。

このようななかで、S-Dロジックの示唆する受容者との価値をどのように共創できるのか、そのためにどのような価値のオファーを行うのか、といった考え方を採り入れていくことが求められるだろう。

(※)本書でのサービスの定義は「他のアクターや自身のベネフィットのために資源を適用すること」となっているが、便宜上簡略化した。

記事執筆者プロフィール

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。
2011年よりフリーランスとなり、マーケティングリサーチやコンサルテーションを行っている。2015年12月よりMarketingBase運営の株式会社スペースシップ アドバイザーに就任。