ビーコンコミュニケーションズ プランニングディレクター 前田環氏

文:大下文輔

銀行業務からの転身

売れる広告』の著者である前田環さんは、とある日本の銀行で働いていたが、金融の仕事はどうも向いていないと感じ、勇躍、MBAを取得すべく、イタリアはミラノにあるボッコーニ大学に留学した。そこでマーケティングを学んだが、取り立てて広告を専攻した、ということもない。コトラーのマーケティングマネジメントなどもそこで初めてきちんと学んだ。学業の合間を縫って、ペルージャ近郊にあるアッシジの聖フランチェスコ聖堂など教会を巡って宗教画を見ることが好きだった。「宗教画は、当時字の読めない一般の人に対して聖書の世界を伝える、コミュニケーションの手段だったのです」。

帰国後、1995年に新聞の人材募集広告を目にして応募し、J.W.トンプソンに採用された。偶然ながら、その時面接を担当されたのが『アカウントプランニングの夜明け』でインタビューした馬場さんである。「あとから聞かされたのですが、当時アカウントプランナー(以下、プランナー)には、さまざまなバックグラウンドを持った人を採用しようという方針だったそうです。そこで、OJTベースで広告について学びましたが、『トンプソンウェイ』と呼ばれる方法が確立していて、精緻に広告のプランニングについてマニュアル化されており、広告の戦略立案について知ることができました」。

そこで、本書にも出てくるユニリーバやデビアスなど、主に外資系クライアントでキャリアを積んだ。後に、ある日本の大手家具販売会社のハウスエージェンシー(主に親会社の広告を担当する広告会社)に対して、広告制作について教育を担当することになり、当時一緒に仕事をする機会も多かった、共著者の伊東紅一さんと一緒に資料を作った。それが本書を作るベースになったとのこと。トンプソンで13年間プランナーとして過ごし、その時に得た経験と知識に加えて、その後転じたDDB、ビーコンコミュニケーションズでの方法論なども加味し、また伊東さんが働いた別の外資系エージェンシーでの方法論も取り入れ、日本で活用しやすいよう発展させてできあがったのが『売れる広告』のプランニングパートである。

プランナーにインサイトを要求する外資系のクリエイター

「伊東さんは日本の広告代理店と外資系の広告会社の両方を経験されてトンプソンにチーフ・クリエイティブ・オフィサーとして入社されました。そのため、クリエイターの立場から、日本での広告制作についてもよくご存じでした。私は、伊東さんのほかには、日本の広告会社に勤めている友人たちからいろいろ話を聞かされていました。広告会社はクライアントに対して、広告の表現を成果物として納めます。ですから、プランナーがいようがいまいが、広告は作られる、あるいはできてしまいます。ただ、それがどのようなコミュニケーションの考え方で作られたか、ということに立ち返って評価する際、プランナーの存在はよりクローズアップされるはず。広告制作の一機能としてプランニングが組み込まれている外資系の広告会社では、特にプランナーが必要とされていると思います。外資系のクリエイターは広告制作にあたってプランナーに、『インサイトがほしい』と言ってきます。ここ、ビーコンコミュニケーションズでは、クリエイティブのフロアの一角にプランナーが席を並べており、両者が密にコミュニケーションを取り合っています。乱暴な言い方をすれば、クリエイターとプランナーは人種も異なり、ぶつかることもよくありますが、それは自然なことでしょう」。

若手教育のための良いテキストがなかった

「キャリアを積んで年次が上がってくると、若手の教育をする機会も増えてきました。その時々でいろいろな資料を作っていたのですが、一般に公開されているものとして、これは、という教科書がないことを感じていました。伊東さんと一緒に作り上げたものを埋もれさせておくのはもったいないと思い、私から提案して伊東さんと一緒に本にまとめることにしました」。

原稿を書き始めてから一旦まとめるまでに、1年半を要したそうである。さぞ苦労したのだろうと思うが、「その間は楽しかったです。『あの忙しい中、いつ原稿を書いていたの』、と言われますが、全く苦痛は感じませんでした」とのこと。「そうして出版社に持ち込んだところ、編集者が読んで興味を持ってくれて、出版が決まりました。コラムを設けるなどのアドバイスを得て、半年ほどで本になりました」。

ブランドや広告の評価基準を考えるきっかけになった

本が出てからの反響について尋ねてみた。「1つには、広告を学び始めた若手は、『広告の全体像が見えた』とのことで、教材としての意味はあったと思います。また伊東さんを通じて、弁理士の方から『これまで仕事を通じてブランドを扱うことがあったが、この本を読んで、ブランドについてより深く考えるきっかけになった』とのご意見があったと聞いています。さらにクライアントサイドの方からは『これまで提示された広告案に対して感覚的なコメントを返してしまっていたが、広告の目的や戦略を踏まえたコメントを返せるようにしたい』と言われました」。

提示された広告表現案からどれを選び取るかはクライアントの役割だが、実はそれは高度な知的作業であり、そのための判断基準を持つためにも、本書は有用だということだろう。

デジタルの洗礼を受けたコミュニケーション戦略も一巡して元に戻った

最後に、広告プランニングにおける、デジタルの影響について聞いてみた。前田さん曰く「デジタルのメディアを扱うことによって、提案するものの種類・数が増えました。単純なバナーもあれば、SNS上でのもの、動画を使った仕掛けなど多種多様で、当初は戸惑うことも多かったのですが、ここに来てそうしたことが一巡し元に戻った感があります。幹となる戦略の部分を、それぞれのコンタクトポイントでどう展開していくか、という本筋は変わらないのだ、と思います」。そうであれば、本書『売れる広告』の内容はデジタル部分を加えたとしても、基本的には変わらない、というのがプランナーとしての前田さんの見解である。

 

日時:2016年10月31日
場所:ビーコンコミュニケーションズ

 

記事執筆者プロフィール

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

 

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。
2011年よりフリーランスとなり、マーケティングリサーチやコンサルテーションを行っている。2015年12月よりMarketingBase運営の株式会社スペースシップ アドバイザーに就任。