『世界最先端のマーケティング 顧客とつながる企業のチャネルシフト戦略』
発行日:2018/2/26
著者:奥谷孝司/岩井琢磨
発行:日経BP社
文:大下文輔
本書は、早稲田の商学研究科同窓の2人がビジネス実践の場における経験と観察に加え、研究からの知見に基づいて、マーケティングの大きな潮流を、フレームワークと事例分析、紹介を通じて説いた本である。
著者の奥谷孝司氏は、現在オイシックスドット大地のCOCO(チーフ・オムニチャネル・オフィサー)であり、オムニチャネル(および本書で言うチャネルシフト)実践の最前線にいる。前の職場である良品計画では、「MUJI Passport」を主導した。
もう1人の著者である岩井琢磨氏は、大広で流通・製造の企業横断型の事業変革プロジェクト、企業コミュニケーション設計を手がけている。
アマゾンに見る流通の変革
アマゾンは2015年にAmazon Booksという書籍のリアル店舗をつくり、2018年1月にはレジのないコンビニであるAmazon Goをシアトルにオープンさせた。また、2017年夏にホールフーズを買収するなど、実店舗への進出を本格化させている。
その狙いを巡っては各方面での分析が行われ、流通にどんな変革がもたらされるのかを、業界関係者は固唾を呑んで見守っている。
本書では、アマゾンの成り立ちがEC(オンライン)を基軸にして、そこから実店舗(オフライン)に進出している点に着目している。
そこには、一般の小売業がマーケットとしてまだ大きいオフライン店舗を基軸にした「店舗至上主義」を採用しているのとは異なる戦略が見て取れるというのが、著者の見解である。
店舗至上主義とは、消費者はオンラインであれ、オフラインであれ、まず「店舗を選んで買い物をする」という立場から、売上が多く歴史のあるオフライン店舗を主体として、オンライン店舗で補完するという思考のパターンだ。そこには「オンライン対オフライン」というチャネルの対抗軸が存在する。
翻ってアマゾンは「オンライン対オフライン」という対立軸を持たない。オンラインとオフラインをシームレスに融合させて、消費者はそこを自由に行き来し、どこかで選び、どこかで買う。
それを具現化しているのが、スマホやPCを使わず、ボタンを押すだけで注文ができるアマゾンダッシュや、スマートスピーカーという、家というオフラインのチャネルに埋めこんだデバイスである。
チャネルシフトというレンズで見たオムニチャネル
オンラインとオフラインにまたがるチャネル融合はオムニチャネルそのものである。著者は、上記のようなアマゾンのあり方を、「チャネルシフト」という大きな流れで捉え、その戦い方を「チャネルシフト戦略」として次のように定義している。
- オンラインを基点としてオフラインに進出し、
- 顧客とのつながりを創り出すことによって、
- マーケティング要素自体を変革しようとする「戦い方」
この戦い方の様相を見るために、著者は企業が顧客とのつながりを活かして、オンラインをオフラインの壁をどのように乗りこえているかを探るフレームワークを用意した。それが、顧客が選択を行う場を横軸に、購入を行う場を横軸としてそれぞれオンラインとオフラインに分割した4象限マトリックスである。このフレームワークにAmazonを当てはめてみたのが図1である。
チャネルシフトを定義したPART 1に続き、PART 2はチャネルシフトの最前線として、アパレル、インテリア、食品といった小売業界、そしてタクシー業界というサービス業の9つの事例から、各企業がオンラインとオフラインを通じて、何を行い、そこにどのような戦略意図を持っているのかを紹介、分析している。
例えば、LE TOTE(ル・トート)は、アメリカの新しいレンタル・アパレルである。女性向け衣料やアクセサリーを行っているが、基本的には月額制で、49ドルからさまざまなコースがあり、アプリなどのオンラインで、決まった点数の中から自分の好みのコーディネートを行い借りる。顧客は、送られてきた商品を着て、気に入ったら期間を延長したり、最大50%オフで購入もできる。
著者はル・トートのやり方を「あえてレンタルの形を取って商品を顧客のもとに送り込み、自宅というオフライン空間で選択させている」と見る。
そして、この「新しい購買体験」によって顧客とのつながりができ、レンタルと購買のデータが蓄積されれば、顧客に対してより良いコーディネートを提案できる。そして、従来のアパレルビジネスのやり方である大量の見込み発注や生産と、それを売りさばくための販促活動は必要ない。
チャネルシフトのフレームワークは、企業の戦略意思を読み取るツールだ。ビジネスを展開する際に意図的にチャネルシフトをどうするか設計していかなければ、顧客を自らのチャネルに引き込むことはできない、とも主張する。
こうした数々の分析の結果をまとめてPART 3では、オムニチャネルの本質をえぐり出している。最も重要な指摘は、クロスチャネルは「店舗を軸に顧客管理を行っている」のに対して、オムニチャネルからは「顧客を軸にチャネルを管理する」という変化である。
それは、顧客属性や買い物行動をしっかり把握した上でチャネル設計を行い、仕入れや在庫管理などすべてを横断した活動として部署横断的に対応する必要が生まれることを意味する。
そうした変革をもたらしたオムニチャネルの本質とは、企業の変化ではなく、顧客の買い物行動が変化し、オムニチャネル化したことによるというのが著者によるインサイトである。顧客は主体的にチャネルを選択して行動し、それに合わせて企業は対応を迫られる。それは、「チャネルの主導権が顧客に移った」ことを意味する。
顧客時間というレンズで見たオムニチャネル
PART 4ではチャネルシフトの主導権を握る顧客の購買行動がオンラインとオフラインでどのように移ろい、そこで企業とどのような関係を構築してゆくかをデザインするための分析ツールとしてのフレームワークの紹介と、オムニチャネルの先進事例にそれを適用して紹介している。
オムニチャネル化した顧客の行動を捉えて、新たな体験をデザインするためには、購買の瞬間だけでなく、購買の前や後(使用)を一連の流れとして、時間に沿って見て行くことが欠かせない。
そこで著者が用意したのが顧客時間(選択→購入→使用のプロセス)のフレームワークである。横軸に顧客時間の3つのフェーズをとり、チャネルの空間(オフライン、オンライン)を縦軸にとる(図2)。
顧客時間とはいわばカスタマージャーニーである。顧客は、オンライン/オフラインのチャネルを移ろいながら、一連の行動を通して得られる体験を1つのストーリーの主人公として紡いで行く。企業の立場からは、そうしたストーリーをどのようなチャネルの連携によって作るかを企画するものとしてこのツールを利用する。
事例として挙がっているものの1つが、眼鏡販売のWarby Parker(ワービー・パーカー)である。彼らの特徴は、HOME TRY-ONと呼ばれる自宅での試着を行っていることである。
オンラインのサイトで質問に答えると、ワービー・パーカーがその人にあったメガネをレコメンドしてくれ、5本まで5日間試着できるよう、自宅まで送り届けてくれる。いろいろな服で様子を見たり、セルフィーで撮ってSNSで意見をきいたりするなど、メガネ選びの新しい体験が自宅というオフラインチャネルでできることが、ワービー・パーカーらしさである。5本のなかから気に入ったものを1本選び、ウェブサイトで視力検査結果をつけて注文し、試着した5本を送料無料で送り返すと、選んだ新しい眼鏡が送られてくるという仕組みである。
著者によれば、ワービー・パーカーは、買い物行動のプロセスを「選択→購入→使用」から、「使用→選択→購入」へと組み替えたことにあるという。
ちなみにワービー・パーカーはオフラインチャネルとして店舗展開もしているが、すべて試着専門だとのこと。さらに、ワービー・パーカーでは、メガネを1組買うと、発展途上国の人にメガネを1つ寄付されるという社会貢献をするなど、顧客時間を通じて、ユーザーとのつながりを強固にする仕掛けがなされている。
エンゲージメントをハブとする4Pのあり方
PART 5では、筆者の体験に基づいたMUJI passportの事例からチャネル設計をいかに行っているかを披瀝している。
そして、続くPART 6では、著者がチャネルシフトの真の目的とする「つながりによるマーケティング要素の変革」を、マーケティング4P、すなわちPlace(場所)、Promotion(販促)、Price(価格)、Product(商品)に焦点を当てて論じている。
チャネルシフトは、「店舗主体」から「顧客主体」へとマーケティングの視座を変えることだから、そもそもKPIが変わる。売上を店舗売上の総和として考えるのではなく、「個客」売上の総和として捉えることにより、KPIは「個客」の売上になり、マーケティングの目指すべきは「顧客」の売上を追求することとなる。
その顧客との「つながり」は、企業と顧客の対話によって生まれる、というのが著者の主張である。「対話」は、顧客から提供された行動データとそれに応じた企業からの提案である、と説明されている。
したがって「つながり」が続くためには、顧客にとって
提案を受け入れるメリット > 行動データを提供するメリット
であると感じられることが必要である。
そのためにデータの取れるPlaceそのものを工夫し、さまざまなPlaceから発せられるオファーが、Promotion、Price、Productを通じてどのような対話によって生まれるかが、チャネルシフトにおける「戦い方」になる。
それぞれについていくつか事例が挙げられているが、Priceの一例として本をリアル店舗で販売しているAmazon Booksが紹介されている。Amazon Booksの店に置いてある本には値段が表示されていない。価格は店内の端末などを使ってスキャンすると、「お得なプライム会員向け」と「非会員向け」の2つの価格が提示される。そこにおいて、価格はメッセージを伴う情報として「体験」されるものだ、と著者は言う。
我々はデータである
本書をはじめとする、最近のマーケティングについての論調では、これからのマーケティングの鍵を握るのは消費者の行動データであるということが、繰り返し強調されている。経営資源としての行動データは、オンラインとオフラインにおける「個を特定した」統合データである。
奥谷氏は実戦経験から、さまざまなデータの統合をするのには費用がかかるから、全ての人についてそれを行うのでなく、何割かの人でも名寄せなどでオンラインとオフラインのデータ統合を行うことで、充分なサンプルは確保できるという。
いずれにしても、データの取得ポイントがどんどん増えることで、「私」という存在がデータの塊として表現され、取り扱われる時代に向かっていることは確かだ。
行動データ及びプロフィールデータの蓄積、ひも付けと合わせて、本人すら気づかない無意識の可視化も含めた「私」がビッグデータの群れ中に「実在するようになる」と考えるべきだと本書を読んで強く感じた。
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |