『経営戦略原論』
発行日:2018/7/12
著者:琴坂将広
発行:東洋経済新報社
文:大下文輔
理論と実務のギャップの存在
本書『経営戦略原論』の著者、琴坂将広氏は、学生時代に起業して会社経営を行い、卒業後はマッキンゼーで経営コンサルタントとして日本とドイツで新規事業や経営戦略策定に従事した後、オックスフォード大学のビジネススクールで学んだ。実務のバックグラウンドを持った研究者の1人だ。
経営戦略は厳密性を旨とする科学としての側面と、ビジネスの課題を解決するアプローチとしての実学の側面を持つ。ビジネスを進める立場からは、各企業が置かれた個別の状況で、目的を果たすためにどうしたらいいのかが常に問われる。一方で学問に資する研究を行おうとする立場からは、遍(あまね)く通用する理論、法則を求め、企業の置かれた固有の状況への関心が薄い。経営戦略論を巡って両者の求めるものが異なり、共通部分も持ちつつ、そこにギャップが生まれる。
本書に込めた著者の狙いは
1)経営戦略論を実務と学術の両面から俯瞰(ふかん)するために必要な要点をできるかぎり幅広く扱うこと
2)実務家が求める「最適な処方箋」と、研究者が重視する「普遍的な法則性」の2つをつなぐこと
にある。
読者対象は、経営者および経営企画やマーケティングの実務経験を持つビジネスパーソンだろう。教科書的な無駄のない記述だが、ベースとなるページ数も多く、すらすらと読めるわけではないが、狙い通り経営戦略論の全体像を得られれば、今後さまざまなビジネス書を読む際の羅針盤となるような本だと思う。あるいは、ミンツバーグの『戦略サファリ』などに飛び込む前に読んでおけば、よりよく理解が進むだろう。
歴史の流れに沿って理論を追い、実行部分を検討して将来を見通す
本書の大まかな構成は次の通りである。
まず、経営戦略の多様性を示しつつ、その骨格の部分から戦略を定義する。定義にあるような考え方は、学術としての経営戦略論が生まれた1960年代以前にも存在したことから、原点となる紀元前からその流れをたどる(第I部)。
続いて、古典的な戦略論が生まれてから、今の時代に連なる系譜として、外部環境に着目した見方と、内部環境・資源に着目した見方が産業と企業の置かれた立場を踏まえてどのように生まれて来たか、そしてそれぞれがどのようなものかについて学術的な立場に軸を置いて俯瞰(ふかん)する(第II部)。
第III部では、第II部で提示された外部・内部の環境分析をベースにした事業戦略立案の骨格を提示するとともに、各種の戦略フレームワークを整理分類して、どう取り込むかについて、「理解」「判断」「行動」の3つのステップで説明する。
事業戦略に続いて、「戦略的意思決定」としての全社戦略を概観する。さらに、経営戦略の「実行」部分についてその評価のあり方や運用、とりわけ重要業績評価指標(KPI)の適切な運用を通じた論理的なものと、人間理解にもとづく感性的なものにわたって論じている。
最後に、それまでの議論をベースにして、現在のビジネス環境について、新興企業、多国籍企業の経営戦略と、テクノロジーの進化が経営戦略とどのような関わりを持つかについて論じている(第IV部)。
経営戦略とは何か
「経営戦略」という言葉の定義は、明確には定まっていない。そして、経営戦略についての定義は数多く存在する。著者によれば、それが1点に収束しないのは、1つの定義が他の定義を否定することはないからだ。同時にそれだけ多くの定義があるということは、経営戦略の具体的な観点がそれだけ多様であることを意味する。そこで、著者はその共通部分(骨格)を、「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」であるとまとめた。
立場を営利企業に限定してみると、「組織」とは全社戦略(Corporate Strategy)、事業戦略(Business Strategy)、機能戦略(Functional Strategy)に分解される。
到達すべき「目標」とは売上や利益、成長率や顧客数、継続率や課金率のような数値目標のほか、組織のビジョンや行動規範も含まれる。目標を達成するための「道筋」には、競争相手と戦い、顧客に対してより高い価値を提供するものである。
上記の見方からすると、「組織」をどう分解するかにかかわらず、「目標」や実行を重視した「道筋」を総合すると、マーケティング戦略と経営戦略は非常に近いものであることがわかる。
ところで、以前紹介したように『なぜ「戦略」で差がつくのか』において、著者の音部大輔氏は、「戦略」を「限られた資源を達成すべき目的のためにどのように利用すべきかの指針」であると定義した。
そこでは「戦略」が、琴坂氏の定義の範疇に入るとともに、ジェイ・バーニーのリソース・ベースド・ビュー(RBV)の影響を色濃く受けつつ、資源の内容を拡張した上で、マーケターの思考の道具として提供されたものであることが、琴坂氏による本書を読むことで納得される。
経営戦略論をマーケターが学ぶ意味
この本をマーケターが読む意義は、マーケティングと密接な関係にある経営戦略が、産業の発展とともにどのような変遷を遂げたかを知ることにある。とりわけ、理論を中心とした第II部は、(経営)戦略を構造的に理解するためにとても参考になる。
マーケターは日常的に「顧客視点」というレンズを通して、ビジネスを見ている。それに対して、経営戦略は、顧客視点を離れた企業視点でビジネスを捉える。
本書を通読して感じるのは、顧客視点をいったん離れ、顧客中心の裏側をのぞくことで、顧客視点がより立体的な深みをもって迫ってくることだ。
また、マーケターは、仕事を進める上で、さまざまなフレームワークを使う。多くの場合、先輩やメンターに教わりながら(OJT)、ビジネスの状況を捉え、何らかの予測や見通しの下に、打ち手を探ってゆくことを覚える。そうしたフレームワークのそれぞれに、理論の裏付けがあり、フレームワークの意味づけがなされている。その本来の意味づけを意識することで、フレームワークを通したビジネスの理解がよりよく行える可能性もある。
KPIのような指標も同様で、本書の第8章で論じられているように、BSCでなくKPIを使う意味を知り、事業プロセスを構造的に把握し、それに合わせた適用をすることで、戦略と結びついた目標管理がしやすくなる。つまり戦略を意識した指標管理により、目標への正しい道筋を作ることができる。こうした点も本書を読むことで再認識される。
カスタマイゼーションとOne to Oneへの流れ
本書の第IV部で論じられているもののうち、MarketingBase読者の関心を引くのは、やはり第12章の「技術の進化と経営戦略」だろう。
マーケターとして注目しておくべきことは、「経営戦略の未来に訪れる3つの変化の可能性」の1つとして、著者が「個品開発、個品製造、個品販売が普及する」ことを指摘していることだ。引用してみよう。
顧客に関する大量なデータを取得して処理することが可能となり、ソフトウェアが自動的に最適な答えを選び出すことの実用性が増すことで、顧客一人一人のニーズを分析し、理解できるようになる。それにより、個人それぞれに対応した製品やサービスが一つずつ開発され、それが低コストかつ迅速に生産・提供される時代が訪れるだろう。
(経営戦略原論/琴坂 将広/東洋経済新報社/456ページ)
この現象に対応するマーケティングのあり方が、先に紹介した「シングル&シンプルマーケティング」あるいはそのベースとなる「One to Oneマーケティング」である。
1人の顧客の嗜好(しこう)やニーズをある時点で把握し、それに応じたレコメンデーションその他の情報提供をする。その働きかけの競争、すなわちいかに1人1人の顧客が意識的・無意識的に望んでいることを把握し、それに応じて自社・ブランドが何を、どのタイミング、地点で提供するかがマーケティングの主軸になる。
それは、個別の顧客アプローチが可能なアルゴリズムや仕組み、システムをどう作るか、がマーケティング戦略の要になるということだ。そして、経営戦略の検討対象も同様にアルゴリズム、仕組み、システムになると著者は予想している。すでに部品の共有化などによるマス・カスタマイゼーションも進みつつあるが、3Dプリンタなどの応用によって、カテゴリによってはフルカスタマイゼーションによる製品の供給もなされるだろう。
著者も述べている通り、未来には製品のあり方を定義しきる必要も、ターゲットを絞り込む必要もなくなる可能性がある。マスからセグメント、そして個人へとマーケティング対象の粒度が変化している。その先は、個人をさらに分解し、仕事とプライベート、あるいは気分やシチュエーションなどに応じたアプローチへと進んでいくことになるだろう。
この大きな潮流を再確認することも、マーケターが本書を読むもう1つの意義だと思う。
なお、本書の図解による要約が、“きょん“こと沖山誠氏によって作成されている(力作)。本書に興味のある方は参照されたい。
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |