ハッキング・マーケティング 実験と改善の高速なサイクルがイノベーションを次々と生み出す
発行日:2017/5/16
著者:スコット・ブリンカー
翻訳:東方雅美
発行:翔泳社

文:大下文輔

デジタル・ダイナミクスに適合したマーケティング

本書『ハッキング・マーケティング』の著者スコット・ブリンカーは、マーケティングテクノロジーに特化した大規模カンファレンスMarTechを主宰し、カオスマップと俗に呼ばれるMarketing Technology Landscapeを監修している。
このカオスマップに掲載される企業の数は年々増加の一途をたどっていて、2018年版では6,829社に上っている。前年度からの増加率は27%である。
この事実が如実に物語るのは、マーケティングテクノロジー関連のツールやサービスの提供が加速しているということであり、その変化のスピードと複雑さが増大しているということである。
本書は、こうした変化の激しい状況をどう認識し、どう対応するかということに対する考え方と実践の仕方を提案している。

顧客と企業の間の関係性は、「デジタル・ダイナミクス」の影響を受けるものとして捉えるべきであり、その影響の程度がデジタル化の進展とともに増しており、マーケティングはその様相に合わせて適応すべきだ、というのが著者の主張だ。

著者によれば、デジタル化は、「スピード、適応力、近接化、大規模化、正確性」という5つの特徴がある。
うち、適応力とはウェブサイトの訪問者に応じたコンテンツの提示などの柔軟さといったことである。また、近接化とは、いろいろな電子的な情報サイトに距離はなく、移動が簡単にできることを指す。コンテンツの流通規模などは大規模化し、定量化されたデータの入手も容易になった。

デジタル・ダイナミクスは、これらの5つの特徴が作り出す変化を指す。中でも、スピードは最もビジネスに影響力の大きい要因だ。インターネットに常時アクセス可能な消費者がデジタル・ダイナミクスにマーケティングがどう対応して行くべきかを考えるとき、デジタル化の洗礼を先行的に受けたソフトウェア業界のあり方、方法論を参照することが有用だ、というのが著者のもう1つの主張である。

ソフトウェア開発の手法とマーケティング

デジタル化された情報の爆発は、データ(情報)を利活用するソフトウェア、コードの爆発でもある。マーケターと顧客の間には、さまざまなソフトウェアが入り込む形でデジタルチャネルが存在している。今日のマーケティングは業務の多くをソフトウェアに依存している。そして、マーケターは、自らコードを書くことはないにしても、ウェブサイト構築、スマートフォンやタブレットのアプリ開発を通じてソフトウェア開発と関わりを持つ。

このように見ると、「現代のマーケティング・マネジメントには、ソフトウェア開発と多くの共通点がある」と著者は言う。そしてIT部門の役割は、バックオフィスのインフラ整備から、顧客が目にする(フロントオフィスの)システムに大きな責任を持つものに代わり、マーケティング部門の役割は顧客へのメッセージを作成することから、カスタマーエクスペリエンスを先頭に立って定義するものに変わってきた。両部門の相互理解とコラボレーションが進行している。

アジャイルソフトウェアの開発手法

ソフトウェアの開発は、かつては「要件定義→基本的な構造(アーキテクチャ)の設計→ソフトウェア開発→ソフトウェアが要件を満たしているかを確認→実運用」というステップを経て、数ヶ月、数年という長い時間をかけて行われてきた(このやり方をウォーターフォール型マネジメントと言う)。
しかし、企業がソフトウェアに求める能力が増え、その変化も早くなってきた。それに対応すべく開発されたソフトウェア制作のプロセスが、アジャイルソフトウェア開発というマネジメント手法。アジャイルのやり方では、数週間という短い開発サイクルが連続する、漸進的で反復的なアプローチが採用される。言い換えれば、プロジェクトの業務を分割して短期フェーズにし、計画の頻繁な見直しと、適用を行うものだ。

そこでは、ソフトウェアは最終製品ではなく、永遠のベータ版として改良を重ねていく対象として捉えられている。さらには、継続的デプロイ(展開)という考え方のもとに、ウェブサイトのソフトウェアはバグの修正や新しい機能がリリースできる状態になったら、1日のうちいつでもアップデートして良いという考えが生まれ、ソフトウェア開発のテンポは速くなり、その開発プロセスもよりシンプルで安定したものとなった。

マーケティングにおいても、多額の予算を注ぎ込んだ大型キャンペーンを中心とし、一度リリースしたら修正のきかないマスメディアコンテンツから、リリースしてユーザーの反応を見ることができるウェブコンテンツや、継続的な対話が可能なSNSなどへと、コンタクトポイントが変わってくると、計画・企画・開発の周期を短くしながら、変化に素早く対応できる体制を取るため、アジャイルソフトウェアの開発手法を取り入れ応用するIT系マーケターが現れてきた。
「アジャイルマーケティング」というコトバをごく初期に使ったのは、マット・ブランバーグだとのこと。そして、著者のスコット・ブリンカーは2010年に、ソフトウェア開発者によってまとめられた「アジャイルソフトウェア開発宣言」を翻案して「アジャイルマーケティング宣言」を作ることを提案し、最終的には次のような形にまとめられている(原文はこちら)。

  1. 意見や慣習よりも、検証された知見を
  2. 縦割り組織や上下関係よりも、顧客に焦点をあてたコラボレーションを
  3. どかんと一発タイプのものよりも、状況に応じて何度も打てるキャンペーンを
  4. 固定的な予測よりも、顧客探求のプロセスを
  5. 硬直したプランでなく、柔軟さのあるものを
  6. 計画に従うことよりも、変化への対応を
  7. 少数の大型の賭けよりも、多数の小さな実験を

また、著者は、アジャイルソフトウェア開発における段階的リリースのスローガンとして使われているRERO(Release Early, Release Often :早めに、頻繁に公開する)を言い換えて、MEMO(Market Early, Market Often:早めに、頻繁に市場に出す)を提唱している。

アジャイルマーケティングの実際は、25章から成る本書のうち、10章を費やして書かれている。「マーケティング・マネジメントの新陳代謝を促進する」、「大きく考え、段階的に実行する」、「業務フローの可視化で混乱を防ぐ」、「ストーリーで表現する」などを章題として解説しているが、「戦略と品質とアジリティのバランスを取る」ということも1章を割いて説いている。(日本語に翻訳されたアジャイルマーケティングの解説は、例えばこちらでも読める)

日本の企業にあてはまるか?

上述のようなアジャイルマーケティングを企業として実行できるだろうか?そしてそれが本当に有効なのだろうか?

例えば日本でも、オンラインゲームのビジネスには、アジャイルマーケティングを実行しているところは少なからずある。あるいは、ウェブサービスのスタートアップ企業では最初からアジャイルマーケティングを採用しているところもある。オンライン主体のサービス展開やプロモーションを行っているところでも、アジャイルマーケティングが自然な形で取リ入れられているだろう。「高速でPDCAを回している」という表現は、アジャイルマーケティングと親和性が高い。

アジャイルマーケティングは、準備に費やした時間がそのまま質に反映されるという考え方に対するアンチテーゼだろう。A/Bテストなどによる実験を繰り返し、ユーザーの行動データなどに基づいて、意思決定を柔軟かつ迅速に行い、打ち手を繰り出して、効果の蓄積を作って行くというやり方は、「意見や慣習」「縦割り組織や職位」に縛られているとできない。

本書の最後には、現代のマーケティングを推進していく上での人材として、T型人材に触れている。
T型人材とは、少なくとも1つの分野で深い知識を持ちながら、同時に多くの分野に熟達している人材を指す。そういう人が協業することで、「ハッキング」すなわち、クリエイティブであり、実行を伴った活動ができる。
本書のタイトルである、『ハッキング・マーケティング』には、変化に適応できる創造的なマーケティングへの願いが込められている。

記事執筆者プロフィール

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。
2011年よりフリーランスとなり、マーケティングリサーチやコンサルテーションを行っている。2015年12月よりMarketingBase運営の株式会社スペースシップ アドバイザーに就任。