『マーケティングプロフェッショナルの視点 明日から仕事がうまくいく24のヒント』
発行日:2019/4/4
著者:音部大輔
発行:日経BP社
文:大下文輔
『マーケティングプロフェッショナルの視点』は日本の代表的マーケターの1人である音部大輔氏の新著である。
以前に紹介した前著『なぜ「戦略」で差がつくのか。―戦略思考でマーケティングは強くなる―』は戦略について掘り下げたものであるが、本書ではマーケティングの思考に関わる骨格の部分へとテーマを拡げ、俯瞰(ふかん)的に記している。
マーケターの視点と思考を磨く
著者によれば、マーケターの仕事には2つの側面がある。1つは専門的な知識とスキルを駆使して、施策や活動の実行に携わり、行動すること。そして、もう1つはマーケティングの全体設計やブランドの構築に従事すること。後者の場合は、実行上のスキルとはまた別のスキルが必要になる。平たく言えば、「何を見るか、どのように考えるか」というスキルである。
そのようなマーケターとしての視点を多様な形で持ち、思考の幅を拡げるためのガイドブックというのが本書の位置づけだ。駆け出しのマーケターにプロフェッショナルな視点を与え、成長を促す本でもある。成長とは、一言で言えば「昨日できなかったことが明日できること」であると著者は言う。この本は「昨日見えなかったことが、明日見えるようになる」本であり、音部流の言い方を借りれば、読者の「資源を増やすこと」を目指している。表紙に書かれている「明日から仕事がうまくいく」とは、「思考の幅、多様な視点」で乗り切ろう、というエールだと言えるだろう。
どんなレベルのマーケターにも、実務に携わる以上さまざまな困難や悩みに遭遇する。ベテランにとって、本書の多くはおさらいだろうが、他の人が読み流してしまうような箇所で、自らの経験に照らして、いろいろなことが生々しくよみがえったりもするだろう。困難に遭遇したときに読み返して、「新しい気づきへの知覚刺激になるかも知れない」と著者は述べている。
マーケティングの根幹に関わる24の質問
本書は4章から成る。順に、「市場創造とブランドマネジメント」、「戦略の実践」、「ブランドマネジメント」、「マーケティングのこれから」という構成だが、各章にはそれぞれ6つの節があり、それらはすべて質問の形を取っている。合計24問の質問の多くは、マーケターが折に触れて自問する本質的なものである。
第1章を例にとって見よう。01節では、あなたのブランドの「競合は何か」、という問いが投げかけられている。この問いはごく一般的であり普遍的なものだ。読者は何かしら答えられるはずだ。
この問いを見て、著者は何を考えさせようとしているのかをどの程度読み解けるかが、マーケターの習熟度と関係している。競合を設定することに、ビジネス上のどのような意味があるのか。競合を捉える方法、視点はどこにあるのか。
競合の設定は、市場はどう動くのか、消費者行動のフレームワークはどうなっているのかなどと関係してくる。競合の設定の結果、マーケティングプランの全体が大きく変わり、取るべきアクションも変更されることがある。大きく言えば市場創造につながるイシューでもある。
このような本質的な質問をきっかけに、議論が展開される。
前書きには「汎用性と有用性の高い考え方」に焦点を当てた、とある。
著者と対話をしつつ読む
読者は目次に記された24の疑問を一覧し、マーケティングの本質、戦略、ブランディングなどのそれぞれについて、自らの関わるブランドの立場からどう考えるのか、そしてそれを一般化するとどうなるのかを考えてから読み進めると、理解が早まるかも知れない。
「あなたの競合のブランドは何か」という質問に対して想像した答えやその視点、説明のロジックが本書に書かれた説明と整合が取れているか、想像し得なかった部分、新たに獲得した視点は何か、この質問は他の質問とどのように関連しているかなど、著者と内的な対話をしながら読むのは案外楽しいと思う。
マーケティングとは何か、ブランドとは何か
24の問いの中でもとりわけ重要なものは、「マーケティングとは何か」「ブランドは何か」の2つだろう。本書に添えられた何点かの図はどれもわかりやすく、意味のあるものだが、何か1つ選べと言われたらこれに尽きるだろう(図1)。
対象となる製品やサービスなどの属性の順位を転換して「いい○○」を定義することにより、市場を創造すること、というこのマーケティングの定義はユニークだ。
本書ではクルマと洗剤を取り上げて説明しているが、例えば、歯磨きで言えば「いい歯磨き」は「虫歯を予防する」のか「歯が白く輝く」のか「歯茎にやさしい」のか「口臭を防ぐ」のかなど機能「属性」のどこを消費者が歯磨きを選ぶ場合の基準にするかを変える(順位転換)ことで市場のダイナミクスを変える、ひいては新しい市場を作ろうとする営みがマーケティングだ、ということである。
属性の順位転換によって、レッドオーシャンをブルーオーシャンに変えるとも言えるし、イノベーションを起こすことも場合によってはあり得る。
マーケティングやブランディングについて、独自の定義ではあるが、いったん理解できれば汎用(はんよう)性の高い考え方だ、ということがわかる。
前著への導入となる第3章
本書の第3章は、音部氏の前著、『なぜ「戦略」で差がつくのか。―戦略思考でマーケティングは強くなる―』の最も基本的な部分について書かれている。すなわち、戦略を「目的達成のための資源利用の指針」と定義し、その基本的な考え方を述べている。
前著が体系的・網羅的に書かれているのに対し、本書第3章は、トピックベースで書かれているとともに、マーケターが遭遇するであろう社内でのさまざまなシチュエーションなどを例に挙げて、抽象度を下げた解説を加えている。そのため、「戦略」を直感ベースで把握しやすいという利点もある。前著を読むまでの案内役として第3章を読んでおくと、基本的な見取り図ができている分、前著の内容に入りやすいかも知れない。
本書は全体に平易で読みやすく書かれている。専門用語もあえて避けているように感じられるところがある。例えば、知っている人なら持ち越し効果、通常はCarry Over Effectというコトバですぐに伝わる内容のことを、図を使ってしっかりと説明している。
「共通言語」、フォーマットの必要性と効用
「戦略」という用語1つ取っても、通常はものすごく幅の広い、あるいは曖昧模糊(あいまいもこ)としたものだ。だが、定義を明確にし、共有することで、戦略を立案し、説明し、施策に落とし込み、実行に移すというすべての段階で、そこに関わる人たちが同じイメージを持って仕事ができる。仕事の型を持つこと、共通の言語を利用することは、チームの効率を大きく作用する。
本書は「共通言語の有用性」を説き、組織の効率を上げるための手段として定義の明確化や目的を共有することなどと合わせて勧めている。「フォーマット」も共通言語だから統一した方がいいということも、外資系企業など組織で仕事をしたことがあれば、身をもって体感していることではないだろうか。「言語の共有」は感覚の共有にもつながり、わかり合える感覚で組織の一体感が高まる。
第4章では、ブランドホロタイプ・モデルによる「ブランドの定義書」と、「パーセプションフロー・モデル」についてフォーマットを用いて解説している。パーセプションフロー・モデルが、カスタマー・ジャーニー・マップとどう違うか、などについても参考になる。
結局は人間に対する洞察の力
最終章では、デジタル化をはじめとするマーケティングの状況を見据え、変わるもの、変わらないものなどについての、エッセー風の論考が続く。そして、その最後の結論が、「人間を見よう!」という呼びかけで、そのメッセージには強く共感する。引用してまとめておこう。
これまでもこれからも、マーケティングプロフェッショナルにとってとても重要なのは、人間に対する飽くなき興味と洞察である。その手段が対面のインタビューやマーケターによる直接観察から、行動を数値に置き換えたデータの機械による観察に変化したとしても、本質は人間の行動や認識、知覚の理解だ。
(マーケティングプロフェッショナルの視点 明日から仕事がうまくいく24のヒント/音部大輔/日経BP社)
マーケティングはなぜ面白いか、何が面白いか、結局このことに集約されていると思う。「属性順位の転換」も「競合の枠組」もつまるところは、人間の行動や認識をいかに理解するかということなのである。マーケティングプロフェッショナルの視点は、そこを起点に育まれる。
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |