アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る
発行日:2019/3/25
著者:藤井保文 尾原和啓
発行:日経BP

文:大下文輔

アフターデジタルとは耳慣れないコトバだ。デジタルの時代が終わり、アナログの世界に戻るという話ではない。「ビットの時代」がさらに深まり、世の中のありとあらゆる事象がデジタルデータに置き換わることで、「リアル(世界)」と「デジタル(世界)」または、オンラインとオフラインの明確な区分がなくなることを意味する。

本書は以前レポートしたOMO(Online Merges with Offline)という全てがデジタル化した社会で、ビジネスのありよう、競争軸の変化などを踏み込んで議論したものである。著者の1人はそのレポートでの登壇者で中国の先進ビジネス事例に詳しい藤井保文氏、もう1人はグローバルビジネスに造詣の深い尾原和啓氏である。

ビジネスの競争原理としてのOMO

2006年にベストセラーとなった梅田望夫氏の『ウェブ進化論』では、あちら側とこちら側という表現で、Webの世界(インターネットに接続した状態の世界)と実世界(オフラインの世界)を区別していた。そこでは、リアル世界とWebの世界に明確な区別があること、そしてその基盤は実世界(リアル側)にあり、Webが異世界として存在しているかのようなイメージであった。

その感覚は実際、小売業においてもECと実店舗という区分がなされており、例えば売上規模の大きさから実店舗優位すなわち、リアル店舗をモデルとしたオンラインへの進出という考え方が日本企業にはいまだ根強い。

最近では、世界的にオンラインとオフラインのデータの統合が実現されるいわゆるオムニチャネル化が進展しつつあり、オンラインをベースとした企業がオフラインに進出する「チャネルシフト」が起きていることを説いた『世界最先端のマーケティング』においても、そうした線引きが分析の基軸に使われている。

著者によれば、OMOというコトバはグーグルチャイナの元CEOである、李開復(リ・カイフ)によって2017年12月にThe Economist誌に書かれた記事で有名になった。李開復によるOMOとは、例えば、「家のミルクが足りないことを察知してショッピングカートへの追加をサジェストする」状況は、もはやオンラインともオフラインとも言えず両者が融合した環境である、ということを示していた。
著者らは、李の提示した「オンラインとオフラインが融合した社会」をさらに進めて、オンラインとオフラインが一体のものであることを前提に、これを「オンラインにおける戦い方の競争原理」として本書を著している。

OMOとアフターデジタル

アフターデジタルは、OMOというコトバではなかなかピンとこない多くの人のために、デジタルトランスフォーメーション的な意味を使ってビフォア・アフターの状態を対照的に表現した著者の造語である(図1)。

図1. ビフォアデジタルとアフターデジタル(アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る/藤井保文 尾原和啓/日経BP)
図1. ビフォアデジタルとアフターデジタル
(アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る/藤井保文 尾原和啓/日経BP)
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ビフォアデジタルとは、「オフラインのリアル世界が中心で、付加価値的にオンラインの世界が広がっている」という状態。それに対して、アフターデジタルとは「モバイルやIoTやセンサーの遍在によって、リアル世界がデジタル世界に包含される」状態を指す。こうした現象の捉え方、あるいは世界観は李開腹氏が提唱したもともとのOMOの用法に近い。
著者はアフターデジタルを「デジタル側に住む」感覚であるという。日本でも若い世代では数年前からこうしたことが一般的になっているらしい。「リアルよりもマッチング精度が高く、コミュニケーションハードルも低いことから、友人関係の構築がしやすい」のだそうだ。

現象としてデジタル化が進むと、人の感じ方や考え方、そして振る舞いに変化が起こる。それも急速に。例えば部分的なことでいえば、日本の都市部の電車では交通系のICカードなどによる改札通過が広がっているがこれが当たり前になると、以前では当たり前だった切符を買うことに何か不便さを感じたりする。そして人はそれを「切符レス」「チケットレス」などとは呼ばない。

オンラインでの決済で現金の手渡しなど発生しないが、そこに「キャッシュレス」という感覚はもともとない(と思う)。

デジタルとリアルの主従関係が逆転するとするOMOは近い将来の「新しい当たり前」なのかもしれない。

視点の転換を求められる日本のビジネスパーソン

本書で著者が強く主張しているのは、ビジネスにおいて(も)、リアルとデジタルの区分をつける考え方、とりわけリアルチャネルに「インターネットをどう活用するか」といったリアル主体の捉え方からの脱却、または視点の移動が必要だということである。

著者の藤井氏は、日本のビジネスパーソンとともに、数多くの中国先進企業を視察訪問しているが、中国ビジネスでは、このOMOの概念が浸透していて、「オンラインとオフラインというチャネルに分けることは、そもそも企業目線であり、顧客はそうしたチャネルでは考えておらず、その時々一番便利な方法を選びたいだけだ」という趣旨のことを語られるという。

オムニチャネルという考え方もそうだが、ユーザー行動のデジタルデータが店舗で取得され、それをオンラインのユーザーデータと統合する形でオンラインデータとオフラインデータの一体化が成立する。あるいは、パーマネントデータにリアルタイムデータが付加される。そのことで、ユーザーが自身の都合でECを利用するか、リアル店舗を利用するかを決めているという実態に適応したマーケティングが可能になる。すなわち、「店舗」という外形、流通チャネルとしての企業目線の捉え方ではなく、そこでどんなデータをどのように得てそれをどのように返すか、という目的といった観点からの捉え方が必要になる。
無人化店舗は、無人化そのものが目的でなく、精緻な行動データ(表情解析その他の心理データも含む)を得るためのものということが本書ではJian24という中国企業の例によって語られている。

顧客を属性ではなく、状況で捉える時代へ

OMOの競争原理について、著者は中国企業の視察時で得た発言を引用しつつ、次のように述べている。「データをできる限り集め、そのデータをフル活用してユーザーのUX(顧客体験、ユーザーエクスペリエンス)をいかに高速で改善できるかどうか」であると言う。

OMOの重要な考え方として、「チャネルの自由な行き来」「データをUXとプロダクトに返すこと」「リアルも含めた高速改善」の3点が指摘されている。

チャネルとは顧客接点であり、顧客はブランドとのチャネルをオンライン、オフラインを問わず自らの都合によって行き来している。そこに訪れる顧客の行動データを取得し、そこからその時々の顧客の状況に応じたオファーを行い、できる限りよい体験を与えること、あるいは顧客のニーズに応じたプロダクトやサービスを提供すること、そしてデータを元にして、よりよい体験やサービスのための改善をオンラインサービスで行われているようなスピード重視の考え方で改善していくことという意味だ。これを実践しようとすると自(おの)ずと顧客視点の考え方になる。

このあり方は、顧客1人1人の状況に応じたオファリング、体験価値提供へと向かう。本書ではOne to Oneとは明示されていないが、それを指向している。顧客の属性データでなく、行動データも合わせ、状況によるターゲティングをいかに的確に行えるかがマーケティングの雌雄を決することになる。状況はコンテクスト(文脈)と読み替えてもよいだろう。

データと顧客の良好な関係

OMOはつまるところ、エクスペリエンスを企業が競うことになり、それが産業構造や社会のあり方を変える。中国で今急激に起きている社会の変化は、OMOが基軸となっているといっても過言ではない。

顧客の「よい体験」という便益は、顧客のデータ提供とトレードオフの関係にある。顧客はよい体験が得られれば喜んでデータを提供するし、そうでなければ、顧客はそのチャネルを外れるなど、データ提供の網から漏れてしまう。

データを扱う企業は基本的に顧客を欺かないという倫理観が求められるが、それはイデオロギーのいかんに関わらず共通のことである。ただ、中央集権的な中国では個人データは公共財であり、国家が一括して管理し国民のために使うという考え方であり、GDPRを策定した欧州においては個人の私有財であるとする立場による違いがある。それについて本書でも論じている。

日本においては、データは私有財であるとの考え方が支配的であり、中国ほどデータが集めやすい環境にはない。しかしながら、OMOは必然の流れであり、そしてエクスペリエンスの競争になるということも同じである。

これから日本企業はどうしたらいいのか、国際的に見て何が強みなのか。その辺りの実際的な見方や処方箋も本書では提供されている。UXには5段階あり、日本企業の今の状況から見てどの段階を目指して何をすべきかが書かれている。興味があれば、是非本書を繙いていただきたい。

 

記事執筆者プロフィール

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。
2011年よりフリーランスとなり、マーケティングリサーチやコンサルテーションを行っている。2015年12月よりMarketingBase運営の株式会社スペースシップ アドバイザーに就任。