『テクノロジー思考 技術の価値を理解するための「現代の教養」』
発行日:2019/8/7
著者:蛯原健
発行:ダイヤモンド社
文:大下文輔
テクノロジーの浸透と世界の変貌
本書『テクノロジー思考』は、テクノロジーの浸透が世界をどう変えてきたのか、今後どのような変化が起こるのかについて論じた本である。
序章と終章で、著者の提唱する「テクノロジー思考」なるものの概説を行い、その実践によって世界を見通した結果として第1章から第8章までがつづられている。
第1章「テクノロジーの現在」では、インターネットの普及は鈍化し、インターネットを巡るビジネスのバトルフィールドはリアルでフィジカルな世界、あるいは「インターネットの外」に進出してきているという主張。
オンラインを起点としたチャネルシフトやO2O、オムニチャネル、あるいはOMO(Online Merges with Offline)についての議論は、このMarketingBaseでも紹介してきた。
加えてフィンテックは、お金が持つ媒体(ミディアム)という性質から、インターネット以前からもあったがテクノロジーによる再定義が起こっていることを示し、モビリティとヘルスケアがデジタルトランスフォーメーションによる競争激化が起こっている分野だと説く。
テクノロジーがもたらす変化の背景とそれがもたらすもの
第2章はテクノロジーとイノベーションについての興味深い論考が展開されている。
なぜ、現代はイノベーション至上主義になるのか、イノベーションのもたらすハイパーインフレ的経済効果と失敗によるデフレ効果、ユニコーンに賭けるスタートアップブームと関連した過剰流動性の話、投資のあり方がトップライン重視でボトムライン軽視になっていること、一握りの成功者が富を独占するスタートアップ格差社会の様相、上場/未上場市場の融解などについて、包括的な論説が続く。
第3章「次なるフロンティアはどこにあるのか」では、これまでのデジタル革命は都市部を中心としていたが、インターネットが行き渡った今、テクノロジーは地方という新たなフロンティアに向かっていることに着目する。
そして、例えばアグリテックのようなものは、デジタルトランスフォーメーションがもたらすビジネスでもあると同時に、地方のエンパワーメント(活力をつける)に貢献するものというソーシャルインパクトと呼ばれる側面を持つ。世界を変える様相にも変化が起こっていることが解説されている。
第4章「データ資本主義社会」では、富に結びつきやすく、またその所有や開示に論点の多い、属人的な情報に焦点をあてている。議論の俎上(そじょう)に登るのは、行動データを含む個人情報である。
トランプ大統領を生んだデータによる世論操作などを例として、個人情報をとりわけ大量に収集しているFacebook批判を入り口として、「個人データは誰のものか」について論じ、その背後にある2つのイデオロギー、すなわち「プライバシー保護」対「利便性の追求」という対立について述べ、さらには大規模なデータの生む富の引き起こす「課税問題」とそれを巡る「政治判断」について議論している。
テクノロジーが地球上の各地域にもたらすもの
第5章「欧州という現代のデータ十字軍 vs.データ中央集権企業群」では、GDPRに見られるようなデータ保護主義の歴史的背景、文化的土壌などについて語り、世界の富を独占する、セブンシスターズ(かつての石油大手7社)の盛衰のありようをベースに、新・セブンシスターズ(GAFAMに中国のAlibabaとTencentを加えた7社)の興亡を予感させる。
第6章「インド-復権するテクノロジー大国」では、インドという巨大かつもっとも成長率の高い市場において、世界の優良企業のインドにおけるR&Dやイノベーション探求、インド人という人種、テクノロジー企業のマネジメントとの関連、スタートアップエコシステムの勃興について論じている。
バンガロールにもビジネス拠点を持つ著者蛯原建氏ならではの面白い分析がなされている。
第7章「中国テクノロジーの正体」では、中国の長い歴史におけるテクノロジー(火薬や紙の発明なども含む)と経済の関係を振り返り、鄧小平の改革開放政策以降の経済発展とテクノロジーエコシステムの隆盛、中国式のスタートアップ計画経済がもたらす光と影について議論している。
第8章「米中テクノロジー冷戦とは結局のところ何か」は、テクノロジーを巡る米中のせめぎ合いについて、「安全保障」と「経済・貿易上の争い」の2つの観点から考察している。
経済成長に果たした、国家レベルでの中国独自のビジネスモデルがどのようなものであり、ファーウェイ事件を巡る米中駆け引きの意味するところ、ジャック・マーの引退など、謎めいた領域にも斬り込んでいる。
本書の主題
ここまでのまとめから見えてくる本書の主題は、テクノロジーが世界の富にどのような影響を及ぼしたか、どのように変わりうるかを考察したものである。それを政治的、歴史的、地政学的、あるいは宗教や人種などについての視点も織り込みながら俯瞰(ふかん)している。
著者の蛯原氏は、名高い投資家だが、投資対象をより高いレイヤーから見通す力量を存分に披歴し、「テクノロジーと富」というきわめて奥深いものを大きなスケールで、しかも緻密に分析している。洞察に溢(あふ)れていて、副題にもあるような、「現代の教養」という名にふさわしい書だと思う。
個別の事象については知られているものも多く、その意味で「新しい知識は何もない」などと評する向きもあるだろうが、テクノロジーと富の関係をここまで明晰(めいせき)に語れることは、容易にできることではないだろう。
残念なことに、本書の主題はそのような形では明示されておらず、一読した限りでは「面白いけれども、一体何が書かれているのか」すぐには気づかなかった。しばらくパラパラとめくり返して初めてその主題が見えてきた。さっと読み返してみて、その見えてきた主題と、著者が意図した新たな「視点」の提示の間には少し乖離(かいり)があるように思われる。
また読者対象も「機械工学やコンピューターサイエンスを学んだテクノロジスト」かどうかを区分する必要もなければ、「ノンテクノロジストのための思考法」と銘打つ必要もないと私は思う。
テクノロジー思考というレンズが目を曇らせる
読んでいてもっとも戸惑いを覚えたのが、著者には申し訳ないのだが「テクノロジー思考とは何か」について、最後まで得心がいかなかったことである。
著者によれば、テクノロジー思考とは次のように定義される。
近年において、世界のあらゆる事象、組織、そして人間にテクノロジーが深く関与し、また支配的な存在として強い影響を与えている事実に焦点を当てた、新しい思考アプローチ『テクノロジー思考 技術の価値を理解するための「現代の教養」』(p.15/蛯原健/ダイヤモンド社)
そして、その思考アプローチがどのようなものであり、それをどのように実践するのかにつて、終章で、「具体と抽象の行き来」とかジェームスW.ヤングの『アイデアのつくり方』に通ずる「組み合わせ」を上げている。
こうした定義やら実践方法やら新しい思考アプローチという概念を頭において読み進めた結果、私は混乱してしまった。逆に「テクノロジー思考とは何か」にとらわれずに読んだら、よりよく理解できた。
私が混乱した原因のもう1点は「テクノロジー」そのもののイメージである。
自分がイメージしたのは、ケヴィン・ケリーが『テクニウム』で論じているように、「テクノロジー」は「人間の作り出したあらゆるもの」であり、自律的・主体的な存在としてのそれである。
翻って本書の最終章ではテクノロジーは人間に従属する存在であると定義されていて、例えば基礎研究段階で生み出されたものは「テクノロジーとは呼ばない」と規定されている。
確かに富、お金、投資、といった観点からすれば、テクノロジーを人間に従属すべきものとした方が、通りが良いかもしれない。そのような話をするなら、序章でしてほしかった。
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |