集中講義デジタル戦略 テクノロジーバトルのフレームワーク
発行日:2019/8/13
著者:根来龍之
発行:日経BP

文:大下文輔

デジタルトランスフォーメーションの重要性は理解できたとしても、それに合わせた自社の変革が思わしくないとき、それが単に「遅れている」「危機感の不足」「経営層の無理解」といった理由にされてしまっていないだろうか。
歴史ある企業の多くは、デジタル化を既存のビジネスとどう折り合いをつけるかという悩みを抱えていて、べき論だけでは動きようがない。
デジタルトランスフォーメーションを鼓舞する本はそれがしやすい環境にある企業には参考になりやすいが、結局は、自社の置かれた状況に応じて自力で戦略的な意思決定をせざるを得ないということも事実ではないだろうか。
『集中講義デジタル戦略』は、そうした課題解決の寄る辺となるものだと思う。

本書は、テクノロジーバトル(テクノロジーの変化に伴う競争)の中で、企業がどのように対応すべきかについて提示する。

図1. 本書で取り上げるデジタル戦略論の全体像
図1. 本書で取り上げるデジタル戦略論の全体像
(集中講義デジタル戦略 テクノロジーバトルのフレームワーク/根来龍之/日経BP)
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著者である根来龍之氏は、『プラットフォームの教科書』の著者でもある。前著ではプラットフォームに焦点を当てていたが、本書はその内容も進化させつつ取り込みながら、より包括的なデジタル戦略論の全体を網羅する(図1)。
すなわち、図に名の上がっている理論を参照しながら、著者の研究にもとづく独自の理論を織り込んで企業の戦略的意思決定を助けるチェックリストとなるように記述されている。

デジタル化を見つめ直す

デジタル化とはどのようなものであり、それが産業構造にどのような変化をもたらしているかについて、本書の冒頭で議論されている。

デジタル化とは、デジタルテクノロジーが引き起こす製品・サービスと製造/供給プロセスの変化を指す。その結果、顧客、ビジネスモデル、競争相手、産業構造が変化する。
また、デジタル化は新しい顧客価値を生み出す。それはかなりの確率で新興企業によって行われる。既存のビジネスモデルとその事業者は、ディスラプションによって根本的な変化が求められる。

デジタル化の要因は、モジュール化、ソフトウェア化、ネットワーク化の3つがある。
モジュール化とはインターフェースを標準化することによって、個々の部品を独立に設計することが可能になることである。
ソフトウェア化の進行によって、人と機械がやっていたことをソフトウェアで行うことが増えた。自動運転は、ソフトウェア化の進んだ例と言える。
ネットワーク化もどんどんと進行していて、以前はネットにつながっていなかった自販機のようなものが次々とサーバーにつながるようになった。

デジタル化の3要因は互いに関連しながら進んでゆくが、モジュール化によってレイヤー構造が生まれる。
レイヤー構造は、例えば電子書籍では、通信ネットワークというレイヤーの上に、ハード・OSのレイヤーが乗り、その上に閲覧アプリ、コンテンツストア、そしてコンテンツのそれぞれのレイヤーが重なっている。
レイヤー構造は、3要因のモジュールがプラットフォーム化し、その上にレイヤーが重なることによって形成される。

レイヤー構造は、従来型の産業で見られるバリューチェーン(企画、製造、販売などの付加価値連鎖)構造と比べると、消費者に選択の自由を飛躍的にもたらす。
バリューチェーン構造では消費者は最終製品の中から選択するが、レイヤー構造はそれぞれのレイヤーのコンポーネント(例えばOSなら、Windows、iOS、Androidなど)を組み合わせることができる。

これらのことはPart1「産業構造へのインパクト」に詳しく書かれているが、ここを丁寧に読んでおくことで、デジタル化の本質を見つめ直し、以降の展開を追いやすくなると思う。

デジタル戦略論の体系化

以上のことを議論の出発点として、本書は主要な戦略論を豊富な実例とともに紹介している。取り上げられている戦略論はクリステンセンの破壊的イノベーション論、ジョブ理論、キム/モボルニュのブルーオーシャン論、ウェイドのデジタル・ボルテックス論をはじめとするいくつかの理論である(図1参照)。それらの理論は、単に紹介や参照にとどまらず、その限界についても言及されていて、既に主要な著書を読んだ人にも参考になる。

本書の優れた点は、そうした理論を咀嚼(そしゃく)した上で、関連付けて体系化を試みている点である。実務家にはなかなかできない研究者ならではの幅広い知識に裏打ちされたビジネスへのアプローチによって、デジタル化における意思決定のあり方を客観化しやすくなる。
事例紹介の一つひとつに視野の広さと考察の深さが反映されていて、説明に納得感がある。

ちなみに最も多くのページ数を割いているプラットフォーム論では、前著に比較して、2点の新たな指摘がある。
1つはWTA(Winner Takes All)と呼ばれる1人勝ちのメカニズムにもつけいる隙があること(例えば「土俵換え」という戦いの場をずらす方法)、もう1点はWTAを実現していると言って良いGAFAのビジネスは、純粋なプラットフォームではなく、むしろ複合的なビジネスモデルを採用しているということである。

本書はデジタル化の本質を知り、自社の抱える問題への解決を模索している全ての人に自信を持っておすすめできる。図表が豊富で、いかにも大学で講義を受けている感じがする(実際の講義を書き起こしたものだから、当然と言えば当然だが)。

既存企業はなぜ変われないのか

本書の特徴の1つは、テクノロジーバトルの中で、ディスラプションを仕掛けやすい新興企業だけでなく、既存企業についてしっかりと目配りしていることだ。

既存企業がディスラプションに直面するとき、その対応策は自由に選択できるわけではなく、矛盾を抱えつつどう対応するかを決定しなければならない、と著者は説く。既存ビジネスが順調であったり、会社の存立に直接的な関わりを持ったりすればするほど、既存ビジネスへの志向が高まる。
その際、既存ビジネスが生き延びられるかどうかの判断はあくまで主観に委ねられる。その判断は、痛みを伴う変化を嫌うことから、往々にして新しいものへの代替が進むことに対して判断が甘くなる傾向があり、それゆえに生き延びていけなくなる可能性が高まる。そのことを、Netflix対ブロックバスター等の事例を参照しつつ検証している。

既存企業には、2つの宿命がある、とも著者は言う。それは、既存製品と既存資源を持つがゆえの「戦略の制約」と既存事業を持つ大企業としての「組織の制約」である(図2)。

図2. 戦略の制約と組織の制約
図2. 戦略の制約と組織の制約
(集中講義デジタル戦略 テクノロジーバトルのフレームワーク/根来龍之/日経BP)
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「戦略の制約」は「製品市場の戦略矛盾・共食い問題」と、「資源の不足・過剰問題」に大別される。
前者は事業のデジタル化を進めると、既存の事業との共食い(カニバリゼーション)を起こしたり、収益目標との矛盾が起きたりすることを指す。デジタル化によって新しく立ち上げたビジネスは往々にして当面の収益性が従来品に劣ることがあり、社内の批判にさらされやすい。
後者は事業のデジタル化促進により、既存事業のプロセス代替(バリューチェーンや業務プロセスの代替)が起こる場合、既存資源(設備、人材、チャネル、取引先など)の余剰や新しい資源の調達を必要とする(資源の不足)。そのため、できる限り既存のビジネスを維持しようとする力が働く。

「組織の制約」はとりわけ大企業において、「官僚的組織の安定化問題」と「既存事業への組織最適化問題」という2つの問題が起こることを指す。
前者は大企業において分業が進んだ状態では、コミュニケーションコストを下げるために、手続きを標準化してフォーマットが確立しているが、仕事が細分化されることで部分最適に合わせた判断や、人に対する調整コストを下げるために前例を踏襲しがちになる。すなわち官僚化が不可避となることを指す。
また、「既存事業への組織最適化問題」とは、組織は長年かけて、既存事業に最適化された組織になっているがゆえ、変わりにくいというものだ。新技術やビジネスモデルは、市場予測ができないために投資決定が遅れるし、既存事業をないがしろにできないことから、エース人材を新事業に回すことも起こりにくい。また、既存事業では人事制度や評価基準が確立しているのに対し、新しい事業では従来の制度や評価基準が適合しにくい。

変化に抗(あらが)う「組織の重さ」を乗り越えて既存事業をないがしろにせず、新しい事業にチャレンジするためには、上手な「両利きの経営」すなわちアナログ事業とデジタル事業を両方進めるためのマネジメントが必要となる、というのが著者の主張である。

記事執筆者プロフィール

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。
2011年よりフリーランスとなり、マーケティングリサーチやコンサルテーションを行っている。2015年12月よりMarketingBase運営の株式会社スペースシップ アドバイザーに就任。