良質のエクスペリエンスをデザインの力で

――書評『イノベーション・スキルセット~世界が求めるBTC型人材とその手引き』

2020/02/07
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イノベーション・スキルセット~世界が求めるBTC型人材とその手引き
発行日:2019/8/22
著者:田川欣哉
発行:大和書房

文:大下文輔

ビジネスにおけるデザインの重要性が増していることは、多くのビジネスパーソンにとってある種の常識となっているだろう。
けれども、ビジネスにおけるデザインとは何か、という質問にしっかりとした説明ができなければ、「なぜビジネスにデザインが重要なのか」もわからなければ、デザインに直接の関わりがないビジネスパーソンにとって、仕事の上でデザインをどう扱うのか、あるいはスキルやリテラシーをどう身につけ、どう役立てるのかについても答えられない。
そして、ビジネスは主として組織の営みであるから、それに関わるデザインも組織の中でどう取り組んでいくのかが大きな課題となる。

本書のタイトルである『イノベーション・スキル・セット』は、産業構造の変化に対応してイノベーションを生み出してゆくための組織論・人材論であり、デザインの重要性はそこを起点に展開される。
本書の著者である田川欣哉氏は、エンジニアを出発点として、デザインの領域に進んだデザインエンジニアである。著者はまず、産業革命を振り返りながら、イノベーションとの関連について考察する。

産業革命の変遷がもたらすデザインの重要性

人類は、産業革命によって、イノベーションを進めてきた。第一次産業革命による機械化は、蒸気船、機関車、自動車などの「ハードウェア」を次々誕生させた。
2つの世界大戦の間に起こった第二次産業革命は電気と電子の時代、「エレクトロニクス」を活用した制御技術が一挙に花開いた。
第三次産業革命はコンピュータの普及とともに起こり、まず、「ソフトウェア」技術がアメリカを中心に広がった。コンピュータ同士の通信によるつながりがインターネットの普及と共に起こり、IT技術による「ソフトウェア」+「サービス」が進展した。その後、「スマートフォン」の普及浸透にともなってデジタル化はますます進み、「ソフトウェア」と「ハードウェア」が融合した。
そして現在は、コネクテッドの時代に向かいつつある。それは、「ハードウェア」「エレクトロニクス」「ソフトウェア」「ネットワーク」「サービス」に、「データ」と「AI」が加わった複合領域である。そこでのビジネスの主役は、最先端のデジタル技術とハードウェア技術を結合させたビジネスであり、ハードウェアを得意とする日本企業にもイノベーションを起こすチャンスが生まれてくる、と著者は見ている。

そうしたビジネスの成功事例がソニーの「プレイステーション・プラス」だ。PS4というハードウェアを買ったユーザーが、プレイステーション・プラスという月額500円のサービスの会員になることで、オンラインのマルチプレイを楽しむことができるようになる。PS4というゲーム機は売り切り型のビジネスだが、プレイステーション・プラスはサブスクリプションであり、両者の複合(「SaaS Plus a Box」と呼ぶ)によって、本体売上後の収益を確保することが可能になっている。
ハードウェアを利用したサブスクリプション型のサービスは、ユーザーと長期の関係を結んでいく必要があり、そのためには顧客体験(カスタマーエクスペリエンス)を高めてゆく必要がある。

ユーザーの感情を軽視することなく向き合ってプロダクトの改良を重ねていくための手法として「デザイン思考」が注目されることになった。デザイン思考とは、「ユーザーのリアルな課題・感情・体験といった人間的視点を、ビジネスやテクノロジーの現場に取り込むための体系的手法」だと本書では定義している。そうした「課題解決を担うデザイン」と「スタイルやブランドをつくるデザイン」の2つがあり、両者は区別される。

イノベーションを支えるBTCトライアングル

これまでのビジネスは、ビジネス(B)とテクノロジー(T)という2つの分野(とその人材)によって形成されてきたが、プロダクト・サービスを長く使い続けてもらうことが重要になると、それらにクリエイティビティ(C)の3つの機能を加えたBTCの3分野からなる組織(BTC型組織:図1 )が理想である。
ちなみにクリエイティブには、いわゆるデザイナーだけではなく、コミュニケーションにおけるクリエイターなども含む。そして、BTCの少なくとも2つの分野の間を行き来できるハイブリッド型の人材をBTC型人材と呼び、そうした人材を育成・確保することによってBTC型組織を企業内に作っていくことが、コネクテッドの時代のビジネスにおいてイノベーションを生むためには適切だ、というのが本書の中心となる主張だ。

多くのイノベーションは、「以前から存在していたが、普段出会うことのない複数の要素が独特の形で出会い、結合することで価値化するパターン」と著者は見做(みな)す(これは、『アイデアのつくり方』の中でJ.W. ヤングがアイデアについて述べていることを思い出させる)。だから、分野を行き来する人材の脳内で新たな結合が生まれる確率が上がるから、BTC型の組織と人材がイノベーションに関与する可能性が高まる、と著者は言う。

図1.BTC型組織

図1.BTC型組織
(※画像クリックで拡大)

ビジネスとテクノロジーに加えて、デザインのリテラシーを高める(より理想的にはスキルとして備える)ことが、これからのビジネスエリートに求められる要件だ。

デザインには3つある

デザインには大別してクラシカルデザイン、デザインエンジニアリング、ビジネスデザインの3種類が存在する(図2)。

BTCに軸足を置くデザイナーは、プロダクトデザイン、グラフィックデザイン、空間デザインなどに専門性を持ち、美術大学などの出身者が多い。昔からデザイナーと呼ばれてきた人たちであり、彼らの得意とするデザイン領域をクラシカルデザインと言う。
彼らの美意識をプロダクトやサービスや広告などに埋め込んで、ユーザーからの共感を集めたり、生活に彩りを添えたりすることがクラシカルデザインである。クラシカルデザインの専門性は「スタイルやブランドを作るデザイン」に置かれる。クラシカルデザインの担当者には作家的、職人的な感覚を持ってアウトプットする人が多い。

BとTを行き来したり、両者をつないだりするデザインは、デザインエンジニアリングと言う。エンジニアとして教育を受けた人が、デザインのリテラシーやスキルを身につけるケースが多い。UIに関わる開発者や、フロントエンド開発に携わるエンジニアなどは、デザインエンジニアリングのリテラシーの高い人は多い。ただし、デザインエンジニアリングの専門教育を行う学校は少ないとのことだ。

BとCを行き来する、あるいはBとCをつなぐデザインは、ビジネスデザインと言う。商品企画やマーケティングで経験を積んだビジネスパーソンが、デザインの知識やスキルを身につけて専門家として仕事をする可能性がある。デザインエンジニアリング同様、教育機関はまだ極めて少ない。

デザインエンジニアリングやビジネスデザインは、クラシカルデザインとは異なり、「課題解決のためのデザイン」の役割を果たす。デザイン思考の本質である「人のリアルな課題や振る舞い、感情の動きなどを高い解像度で捉え、プロトタイピングを駆使する」ことで、課題に対する解決策を試行錯誤しつつ模索してゆく。そこでは、組織的、論理的な考え方、行動に基づくアウトプットが主流となる。

こうしたデザイナーの存在により、BTCそれぞれが連携してイノベーションが起こることが期待されている。多くのビジネスパーソンに今求められていることは、ビジネスに関わるデザインには「課題解決のためのデザイン」と「スタイルやブランドを作るデザイン」の2種類があり、それぞれ役割が違えば得意不得意もあることをわかった上で、それぞれのデザインに携わる人と接することである。

図2. BTCをつくる3つのデザイン

図2. BTCをつくる3つのデザイン
(※画像クリックで拡大)

センスを磨く「ふせんトレーニング」

本書では、BTC型人材になるための第一歩をどう踏み出すか、ということをある程度実践的に解説している。そこで、特徴的なトレーニングの1つとして、『顧客起点のマーケティング』の書評で紹介したn=1の分析がここでも使われていることだ。n=1の分析とは、定量による標準的な理解ではなく、観察やインタビューなどによる生身のユーザー(典型的な人)をとりまく環境も含めたありのまま、まるごとの理解である。それが結局ユーザー視点に立った体験デザインに役立つということになる。

デザイン思考の肝となる「プロトタイピング」についても、初歩的な知識がわかりやすく解説されている。

センスは、クラシカルデザインと向き合うのに避けて通れない要素だ。本書の著者は、センスとは「好き嫌いに関する一貫した判断」であり、決して先天的なものではなく、好き嫌いを徹底して磨く、だれでも身につくとしている。

そのセンスを磨くためのトレーニングとして紹介されているのが「ふせんトレーニング」。「いいかどうか、好きかどうか」に対する判断をデザイン系の雑誌や写真集を使って行うもので、自分が「良い」、「悪い」、「わからない/どちらでもない」と思うものに対応して3種類の色違いのふせんを貼っていく。良し悪し(=好き嫌い)の判断を、即時的に一貫性を持って行えるように鍛えてゆくのである。

そうした実際的なトレーニングや、実例も載っているが、本書は全体として理論的概念的な説明が先行している。その意味で、具体的なイメージを先につかみたい場合には、取りあえず実例を多く含んだ第5章をまず読んでぼんやりとしたイメージを抱いてから、全体を通読していく方法もあるかと思う。

 

記事執筆者プロフィール

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita)

大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。
2011年よりフリーランスとなり、マーケティングリサーチやコンサルテーションを行っている。2015年12月よりMarketingBase運営の株式会社スペースシップ アドバイザーに就任。

 

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