『D2C 「世界観」と「テクノロジー」で勝つブランド戦略』
発行日:2020/1/10
著者:佐々木 康裕
発行:NewsPicksパブリッシング
文:大下文輔
D2Cはバズワードにとどまらない
一昨年あたりから、日本でもD2C(Direct to Consumer)というコトバが広まり始めた。当初の紹介のされ方としては、Amazonの支配下におかれないビジネスの形態であるというものが多かったように思う。
本書はD2Cの本質を明らかにし、D2Cがもたらすマーケティングのパラダイムシフト、あるいは企業と顧客の関係性などを、数々の事例を深掘りしながら例証している。著者によれば、D2Cは小売りの歴史において「D2C以前」と「D2C以後」に分類されて語られるようになる、というほどの強い影響力を持つ不可逆的な変化、破壊的イノベーションをもたらしている。
D2Cのブランドは、伝統的なブランドとの比較において、図1に示されるような特徴を持つ。
D2Cはインターネットで顧客との接点を持ち、データをトラッキングしながら、対話を重ねてブランディングを行い、中間の流通を挟まずにダイレクトな販売を行う。
顧客の中心は他の世代よりも高学歴なミレニアル層(1980年代から1990年代後半生まれ)であり、ソーシャルメディアを使いこなし、環境問題その他社会問題への関心が高い。それゆえに、彼らは「リサイクル」「多様性(ダイバーシティ)」「持続可能性」などの倫理や環境に配慮したブランドを好む。
同時に彼らは、リーマンショック以降にキャリアを重ねたこともあり、所得水準が低く、また学費のローンを抱えている人も少なからずいることから、懐事情は厳しい。そこで利幅を下げて安い価格に設定することもD2Cビジネスの特徴になっている。
その分、成長モデルは指数関数的とも言うべき、急速なものとなっている。
ミレニアル層に響く「世界観」
D2Cで売る商品はさまざまだが、マットレス、カミソリ、メガネ、スーツケース、ペットフードなど、案外地味なものが多い。そして、購入頻度もカミソリのように比較的頻繁なものだけではなく、売り切り型商品もある。さらには、スタートアップのビジネスというわけでもなく、大手企業が扱うものもある。
従来型の小売りビジネスと決定的に違うのは、たとえ売り切り型の商品であったとしても、必ずオンラインで顧客とつながり、コミュニケーションを取って(そしてデータを取得して)いることである。
同時に、機能の差別化やブランディングが難しそうなコモディティ商品が比較的多い。こうした商品を、性能や仕様ではなく、商品をとりまく世界観を提供価値としてブランディングする、という手法がD2Cビジネスの特徴になっている。
その「世界観」を提示するものとして、ライフスタイル系のオンラインマガジンを展開しているところが多い。
例を挙げれば、Casperというマットレスのブランドは、WOOLLYというライフスタイルマガジンをオウンドメディアとしている。実際それを見てみると、広告は自社広告のみであり、しかもそれが「Casperの広告です!」とわざわざ目立つ形で提示されている(図2)。そこで、知らずにこのメディアを訪れた読者もCasperとこのマガジンが関係していることを知る。
同時にこの広告は、Woollyが多くの広告によって注意をそらさず記事が読めることに読者が気づき、広告だらけの無償版マガジンを有料版にアップグレードして読んでいるような気持ちの良い体験であることを際立たせる効果を持っている。「売らんかな」の姿勢を極力排除しながら、Casperというブランドを印象づける見事な手際と言わざるを得ない。
ホームページでもCasperという企業を「the Sleep Company」と明言したうえで、マットレスを中核の商品としている。提供価値がマットレスを中心としたCasperの商品によって睡眠の質を上げることが伝わってくる。Woollyで語られるライフスタイルやウェルネスへの関心がCasperという商品と緩やかにつながるような設計を見て取れるが、肝心なことは、ライフスタイルマガジンやウェブサイトによって、買い手の主体性を強く感じることができることにある。
本書ではD2Cブランドにひも付いたオンラインマガジン、ポッドキャスト、その他が多くの場合、プロ集団によって作られていることを明かしている。「世界観の提示」こそがブランディングの要であることが見て取れる。
企業と顧客の新たな関係性
さらに、ミレニアル層の顧客は、ブランドコミュニティのメンバーとして企業が遇していることが本書で明かされている。
Casperを例に取れば、常に睡眠データをトラッキングできる15,000人もの顧客データベースがあるそうだが、彼らはCasperのファンであり、商品のフィードバックを送ってきたり、新製品をクチコミで伝えてくれたりする。「彼らの存在は、顧客というよりマーケターであり、共同開発者であり、エヴァンジェリストでもある」と著者は記している。
このようにD2C企業では顧客の一部をコミュニティにしてあたかも企業の社員であるかのように遇し、製品を共同開発する、すなわち企業と顧客の共創が実践されているなど、企業と顧客の新たな関係性を築いている。そうした関係性が、先のWoolly内の広告に添えられた文言などからも垣間見える。
マットレスは売り切り型の商品だと考えられていて、瞬間的に認知を獲得する「刺激-反応型」のコミュニケーションであったものが、D2Cの場合は世界観や物語による「語りかけ-理解型」のコミュニケーションによる、顧客との関係が長期化してきていると著者は説く。
態度変容の5E、4Pに変わる5E
4E顧客がマーケターや開発者という多面性を持つようになった現在、顧客は1人ひとりが切り離されているのではなく、ブランドへの態度形成が社会的な文脈の中で行われ、カスタマージャーニーもそれに応じて個人の中では完結せず、他者との関係性の中で語られる必要がある。「刺激-反応型」のコミュニケーションは基本的には消費者をマスで捉えてはいるものの、態度変容という点においても、他者との関わりを視野に入れない、個人ベースのものであった。
カスタマージャーニーマップを作る際のベースになるものとして、AISASなどを使っても良いが、海外でも使われているものとして、本書では5Eが紹介されている。
体験(Experience)を記述する5Eは、次のステップに分かれる。
- Entice(惹きつけられる、認知する)
- Enter(サービスを申し込む、使い始める)
- Engage(サービスを使用する)
- Exit(サービスを使い終わる、お店から出る)
- Extend(友達に伝える、再来店する、などの拡張的体験)
本書では次のように主張している。
どのようなモデルを使うにせよ、モメンタムが減衰してしまう直線的な「ファネル」ではなく、カスタマージャーニーは、回転する「ループ」に今後はなるだろう(図3)。
ループの中での出発点であり、回転の勢いをつけるのは顧客の声だ、そういう前提でジャーニーの設計がなされるべきだ。
さらに、ビジネスのフレームワークの基本として利用されている4Pも4Eになるだろうとの提言もある。手短に記すと
- Product → Experience(体験)
プロダクトの脱物質化が進み、体験がより重要視されるようになる - Price → Exchange(交換)
提供者都合の値付けから、提供する価値に見合った最適な値付け(顧客が考える価値を価格に置き換えたもの)が重要になる - Promotion → Evangelism(伝導)
一方的な広告でなく、顧客に提供したストーリーが、語るに足るものである場合に、顧客が自ら情報を発信してくれ、それがブランドのバリューを高める - Place → Every Place(あらゆる場所)
顧客との接点が、流通チャネルにとどまらず、オンラインとオフラインのあらゆる場所へと拡張される
となる。
デジタルを起点として、世界観を提示し、顧客との関係性を構築するという、D2Cのもたらした本質的な変化は、今後あらゆる業界、企業に及んでゆくという予言によって本書は結ばれる。各章での詳細な議論と実例によって、読者はそのことを実感するであろう。
追記:著者の佐々木康裕氏もライター/編集者の1人となっているLOBSTERRというニューズレターの2020年4月6日配信号(Vol.55)において、ハーバード・ビジネス・レビューの記事をダイジェストして紹介している。その趣旨は、D2Cのビジネスは曲がり角に来ており、各社は苦境に立たされている。D2Cといえども持続可能ではない、というものだ。
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |