『アフターデジタル2 UXと自由』
発行日:2020/7/23
著者:藤井保文
発行:日経BP
文:大下文輔
アフターデジタルは、未来の話か
藤井保文氏の前著『アフターデジタル』が出版されたのが2019年3月。オンラインとオフラインの区別のなくなる状況をOMO(Online Merges with Offline)といい、そのような状況になる前のオフライン優勢の状態をビフォアデジタル、OMOが浸透した状態をアフターデジタルと著者は定義した。
それからわずか1年、その内容を進化させた続編が出版された。それが本書である。前著では藤井氏と尾原和啓氏の共著だったが、今回は藤井氏の単著となった。
前著ではアフターデジタル化が高度に進行している中国の事例をふんだんに用いて、OMOとは何かについて論じている。その基本的な主張は、企業の競争原理がビフォアデジタルの商品販売型から、アフターデジタルでは体験提供型へと変化を遂げるというものである。
企業と顧客の関係性が、商品販売型(売り切って終わり)の短期的・単発的、一方向的なものから、対話、双方向、長期のものへとシフトすることを意味する。
商品そのものから、商品を利用する(サービス)体験をいかに顧客が満足できるか、それによって長期の収益を得られるかがマーケティングの主題となる。
競争軸がエクスペリエンスになる、ということはモノを作って売ることから、モノを介在させたサービス(体験の提案・提供)をどう構築していくかがビジネスの主要なテーマとなることだ。
産業構造で見れば、サービス提供者(サービサー)がメーカーに対して優位に立つことになる。そしてサービサーの上位に決済プラットフォーマー(中国ではアリペイ・WeChatなど)が君臨する。
前著も含めてアフターデジタルの事例は中国が中心となる。その理由は、政府の統制というある意味特殊な条件による後押しもあって、中国(の都市部)では、世界最高水準の便利な生活が実現している、という事実によるところが大きい。
誤解すべきではないのが、中国のプラットフォーマーやサービサーは、アフターデジタルの中心概念であるデータの顧客への還元という視点(すなわち顧客の体験を最優先すること)を外していないことだ。
アフターデジタルは遠い未来の話ではなく、すでに存在していたり、手の届くところにまで近づいていたりする。
日本では2019年は変化の多い年だった。経済産業省が「DX格付け」を始め、また「キャッシュレス・ポイント還元事業」を発足させた。
また、前著の影響もあってOMOというコトバそのもの、そしてその考え方がビジネスパースンに知られるようになってきた。
2020年は新型コロナによる社会的な影響のただ中にあって、デジタル化の遅れが政府の補償金手続きを始めとする数々の不便(国民の悪い体験)につながった。それを受けて新首相就任後、デジタル庁が発足しようとしている。
ニュースではDXというコトバを解説付きながらそのまま利用したり、食事のデリバリーサービスなどの需要が一気に増えたりするなど、「顧客体験」を軸としたデジタルへのシフトが加速している。
バリューチェーンからバリュージャーニーへの変化
商品販売型ビジネスから体験型ビジネスへのシフトはビジネスモデルがバリュージャーニー型へと変化することだ、と著者は言う。
商品販売型は、製品を認知してもらうことを手始めに、機能・性能、価格による差別化とブランド付加価値によって理解や興味や購買意欲を高めて売る、というファネル型のバリューチェーンがビジネスモデルだった。
これに対し、アフターデジタルでは「製品はあくまで顧客との接点(コンタクトポイント)の一つ」で、店舗やイベントやアプリなどと同等の位置づけになる。そして、すべての接点が一つのコンセプト(世界観)でまとめ上げられ、その世界観を体現したジャーニーに顧客が乗り続け、企業が寄り添い続ける。このビジネスモデルを「バリュージャーニー型」と呼んでいる。
世界観の重要性
本書でも何箇所か参照されているが、論じている内容の一部は以前に紹介した『D2C』(佐々木康裕著)と符合する。『D2C』は、Direct to Consumerという切り口でアフターデジタルを論じたもの、と言えるかもしれない。
とりわけ、世界観がブランディングにおいて重要な役割を果たすという点において、両者は共通している。著者の藤井氏は、米国の寝具・マットレスのD2Cブランド「Casper」を紹介した後、次のように述べている。
ブランドの世界観を押し出し、テクノロジーを駆使してこれを伝えた上で、顧客に製品を販売するモデルからリレーションを作っていくモデルに転換しているという点で、アフターデジタルの「バリュージャーニー型」と同じ考え方に根ざしていると、私は考えています。
(アフターデジタル2 UXと自由/藤井保文/日経BP)
世界観は、先に書いた「各接点を統一する」ための装置として機能する他にも役割があると思う。ビフォアデジタルの時代には、商品を「店頭で確認したり試したりできること」が前提となっていた。しかし、アフターデジタルではその前提は保証されない。つまり商品を入手する前に五感を動員して見極めることができにくくなる。手触りやぬくもりや臭いや味わいが確認できない部分を補うもの、それも世界観の役割ではないか。そして一旦世界観が伝わり、共感が得られたら、それは顧客との長期の関係を築く上で、ブランドの強力な武器になる。
DXを形作る精神とケイパビリティ
本書のサブタイトルは「UXと自由」となっているが、そのことを解き明かしたのが第4章であり、本書の中核となる部分である。この章では、アフターデジタルが我々にとって良き未来となるようにし、そしてその恩恵にあずかれる社会は我々自身が作っていくのだということを提起している。本書は全体として比較的実践的で、処方なども書いてあるが、この章の前半は思想の部分で、読み応えがある(難しいかもしれない、ということで、YouTubeの解説ビデオのリンクも貼られている)。
要約すると、次のようになる。
自由にはフリーダムとリバティーの2種類がある。
フリーダムは「成約や負・不からの自由」を指す。リバティーは「主張して獲得する自由」を指す。日本の高度成長期や今なお経済成長のつづく中国では、基本的に経済的な豊かさ、すなわちフリーダムの追求が主だった。フリーダムの希求は、豊かになるという社会全体でのコンセンサスが明快で、解決すべき社会課題が多数存在し、価値が多様化しにくく、「役に立つ」が尊ばれる。
けれども、今の日本は成熟しており、価値観が多様化している。そこでは「いかに生きるか」を選ぶというリバティーの追求が主となり、「意味がある」ことが重要になる。
つまり我々のアフターデジタルは、「リバティー型社会」を目指すことになる。言い換えれば、「人がその時々で、自分にあったUXを選べる社会」を目指すべきである。
ところで、アフターデジタルは、「企業のDX」が「社会のDX」の形を作る。それは、民間企業が社会のアーキテクチャー(環境の設計を通じて行動をコントロールする手段)を作ることができるようになる。例えば、インターネットでの行動は、例えばGoogleが用意した検索手段により調べものをする、といった形の行動様式(アーキテクチャ)が企業の手により生まれている。
個々の企業はその世界観に応じたUXを実装するが、多様なUXが存在しつつそれらが集合して大きな社会のUXになっていく。これをアーキテクチャーの分散化という(図1)。
企業のDXは社会のDXに直結するわけだから、企業のDXは社会のDXを念頭に置かないとうまくいかない。そこで各企業は「どんな世の中にしたいのか」という「企業家精神」が不可欠なものになってくる。
各企業のDXにともなうUXとテクノロジーの活用は、それをどう利用するかという意思=精神によって左右される。それが利己的なもの、悪用となれば、社会の発展そのものが阻害されてしまうという大きな危険性を孕んでいる。つまり、社会をより発展させるか止めてしまうかは、どのような企業家精神をもつかによって左右されてしまう。いいものか悪いものかわからない、あるいはどちらにもなり得るものに対しては、良き企業家精神に基づいて作られ、「役に立つ」「意味がある」と社会が認めるか否かにかかっている。
結局、データは金儲けではなく、UXに還元しユーザーとの信頼関係を作ることに使うべきだということになる。
また、ケイパビリティ、すなわち「UXをプランニングする力」においては、ユーザー、ビジネス、テクノロジーの3つの視点が必要だが、1人で賄うことは難しく、組織の対応が求められる。
また、「ケイパビリティと精神」の2つを合わせてUXインテリジェンスという。
これらのUXインテリジェンスが社会変革の礎となる。
このように要約してみると、新型コロナのその後、すなわちアフターコロナには、どのような社会が待ち受けているか、という問いに対する答えは、必然的に「自分たちでどう変えたいのか」「どう変えていくべきか」というように、社会設計を主体的に行ってゆくべきだ、ということになるだろう。それが本書のキーメッセージではないか。
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |