『マーケティング視点のDX』
発行日:2020/10/15
著者:江端浩人
発行:日経BP
文:大下文輔
何のためのDXか
本書は、2021年3月時点で約7,500人を擁する次世代マーケティングプラットフォーム研究会を主宰する江端浩人氏が、マーケターの立場から企業のデジタルトランスフォーメーション(DX)について論じたものである。
本書の主張は明快で、企業のDXはマーケターを中心とした専門組織で進めるべきだということだ。なぜなら、DXのステージが変わってきており、新たなステージによる目的を達成するためにはマーケティングの視点が不可欠であるという理由による。
日本におけるDXは、これまでIT部門を中心に進められてきた。全社的に使う各種のツールを導入し、業務効率の改善、利便性の向上がはかられた。言い換えれば社内のITリテラシー、そしてアクセシビリティを高めることが主な目的であった。
各種の事務手続きをアナログからデジタルに変え、ペーパーレスを推進するなど、主としてアナログからデジタルへの置き換えがDXの主体であった。著者はこの既存の仕組みのアナログからデジタルへの置き換えをDX1.0と呼んでいる。
その段階では、セキュリティーの担保などの情報処理技術が重要視されたため、その中心がIT部門になるのはある意味自然なことであった。
今も政府が音頭を取ってハンコの廃止を進めているが、これも事案の承認過程をアナログからデジタルに置き換えたものにすぎない。ハンコというアナログなものの介在によって、紙という物理的な手段が必要となることで、資源の無駄や業務の遅滞が起こるという状況は、後には極めて滑稽なものとして振り返ることになるだろう。
デジタル化の本質は、あらゆるものをデータ(情報)として取り扱うことだ。DX1.0、すなわちアナログからデジタルへ置き換えが進んだ先にあるのは、データの利活用である。
このデータの利用によって、製品やサービス価値の創造、提供を行うことがDXの新たな目的となる。そうした目的をもったDXを著者はDX2.0と名付けた。
そのDX2.0を推進するためには、IT部門ではなく専門部署とリーダーが必要となるというのが著者の見解だ。リーダーとして、CDO(Chief Digital Officer)という新たなポジションが設けられ、日本でも普及が始まっている段階だ。
米国においてはDXの推進役であるCDOは、企業の存亡を決する存在だというほど重要視されている。それは、製品やサービスの価値創造という、ビジネスのイノベーションに関わるからだ。
DX推進の体制とリーダーに求められる3つの知見
本書では、DX推進にあたっての米国の状況を基準として、日本の責任部署を対照させている。
CDOの 役割 | 新しい収益を生む ビジネス | 合理化、 経費節減 | 顧客体験の 向上 | オペレーションの 効率化 |
---|---|---|---|---|
米国の状況 | CDO、CRO | CDO、COO | CDO、CMO | CDO、COO |
日本の 責任部署 | 新規事業 事業企画部門 | 総務、経理、 IT部門 | マーケティング | 総務、生産、IT部門 |
- CRO:Chief Revenue Officer 最高収益責任者
- COO:Chief Operating Officer 最高執行責任者
- CMO:Chief Marketing Officer 最高マーケティング責任者
この表はまず、CDOがいかに広範な役割を担っているかを示している。「合理化、経費節減」および「オペレーションの効率化」はいわばDX1.0である。
加えて、社外の顧客に目を向け、その顧客から得たインサイトをもとに体験向上につなげてビジネスを維持拡大していくと同時に、新しい収益を生むビジネスを創出して企画実践していくという極めて重大な責任を帯びていることがわかる。後者はDX2.0に関わることである。
すなわち、DX推進のリーダーたるCDOは、ITの知見のほか、ビジネスの知見、マーケティングの知見という3つの知見を求められていると解釈される。著者がDX推進組織の中心をマーケターが担うべきだとするのは、顧客体験の向上が新しいビジネスの価値創造の土台になるとの考えに基づく。技術偏重のDXでは競争力が維持できない。
日本企業において、技術とビジネス、マーケティングの総合力を必要とするDXが既存のマーケティング部門の枠組で推進するのには問題があり、専門部署が必要だとする著者の主張の根拠も読み取れる。
なお、この表の興味深いところは、米国の状況としてリーダー(責任者)を代表させているのに対し、日本では企業の責任部署を割り当てていることだ。企業のダイナミクスが、リーダーの指揮の下に部隊が動く米国企業と、ボトムアップでものごとが進んでいく日本企業のイメージに分かれている。
新たな4Pの提唱
本書の目玉の一つは、DXを推進するにあたっての新たなフレームワークを提示したことにある。
実務家であれば、誰もが知っている4Ps、すなわちProduct(製品)、Price(価格)、Place(流通)、Promotion(プロモーション)というメーカーサイドが統制可能なマーケティングミックスを規定する4つの変数を表すものになぞらえた新たな4Psである。
それらは、Problem(課題)、Prediction(未来予測)、Process(改善プロセス)、People(人の関与)である。順に見ていこう。
<Problem(課題)>
ユーザーはどんな課題を抱えているのかということ。DXで解決を図れるもの、図りたいものを定義する。
本書では電子マネーの導入を例に取り、海外では偽札の横行や現金に絡む犯罪の多さなどが課題となっておりそれが電子決済へのモチベーションとなっているが、日本では「現金で特に支障がない」ことが普及の壁になっていると記している。
私自身は電子マネーを含むキャッシュレスにしているが、その理由は「キャッシュレスにすると、いつ、どこで、何に、いくら使ったか」が明確化される。つまり金銭出納が自動化されることに非常な恩恵を感じている。だから、電子マネーの利用は欠かせない。
そこから逆算すると、課題は「金銭の使途や出入りの見える化」が行いにくいことにあると言える。
<Prediction(未来予測)>
DXによって、このような未来の生活が描けるということを出発点として、そこに向けてDXの取り組みを推進していこうというもの。
消費者が感じているニーズをデジタル化するフォアキャスティングに対して、バックキャスティングと呼ばれるものを採用する。
バックキャスティングでは、まず望ましい未来の姿を想像し、そこを出発点として、現時点では存在しないものも含めて必要な技術を明らかにしてつくっていく。
キャッシュレスに例を取れば、複業による確定申告をする人が増えてくると「金銭の使途や出入りの見える化」によって、以前のような領収書の山と格闘する面倒がなくなり、確定申告の手間が省けるという未来像(まだその恩恵を知らない人にとっては)が起点となる。
<Process(改善プロセス)>
ProcessはDXに必要なプロセスを意味する。
例えば、「DXによって家計と資産の管理が容易になる」ということを実現させようとすると、現金に変わる各種キャッシュレスの普及があり、金銭の出し入れに関するデータが各種の口座に紐付けられる仕組みがあり、それらのデータを統合化し、ダッシュボードによる各種の管理をアプリケーションで実現する必要がある。
カードや電子マネーというデジタル化がなされる先に、デジタル2データを活用した「家計管理」「資産管理」へとつながっていく。
<People(人の関与)>
DXが人に与えるメリットや、あえて人が関与した方が良い部分はどこか、どんな人でもその過程に参加できるための文化や組織、制度について考える部分。
キャッシュレス化の推進により、家計管理が容易になることで、暮らしの中でひとりひとりがどのようにお金を使うのが良いのか、ということを考えるようになる。すなわち、お金の使い方を考えることでよりよい生活ができ、人生設計がやりやすくなる。そのためには、お金に対するリテラシーが教育によって身につくことが助けになる。
DX2.0の事例と実践のためのワークシート
本書では、1章をさいて富士フイルム、Zoom、フェンダーなどDX2.0を進めている国内外8社のケーススタディが紹介され、それぞれのケース紹介の中で上記の新たな4Psを用いてその戦略が整理されレビューされている。
そうして、DX2.0 を理解咀嚼(そしゃく)した後に、事例を記した第4章につづく第5章で新たな4Ps の取り組みができるような構成になっている。
新たな4Psの妥当性や有効性については今後検討が進められるであろうが、本書には読者を対象としたコミュニティが用意されている。本を媒介としたコミュニティでカスタマーサクセスにつなげてゆくことは、DX2.0の試みとして注目される。
DXは国家の政策課題にもなっているように、ビジネスの範疇(はんちゅう)を超えたテーマだ。本書はビジネスパーソン向けに書かれてはいるが、DXをどう捉え、進めていくかの考え方は、あらゆる分野の人に参考になるだろう。
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |