文:大下文輔
「Marketing4.0、次世代マーケティングプラットフォーム研究会」は、2014年にフィリップ・コトラー教授によって提唱されたMarketing4.0を研究するために設立された、会員3,000人以上を有するグループである。先月、第7回目の総会が行われたので、そちらに参加してみた(研究会の内容をご覧いただき、興味のある方はFacebookからぜひご参加を)。
テーマはCSP(Consumer Side Platform)である。コンシューマーサイドプラットフォームとは、多くのマーケターにとって耳慣れないものだろう。このコトバは、この研究会を主宰する江端浩人氏が2014年に使い始めたもので、まだ国内でも十分に浸透していない。しかしこの研究会に参加してみて、その意味や意義が伝わってきたので、ここに報告したい。
2014年の予想として、江端氏はCSPについて次のように記している。
広告主や媒体のメリットを最大化するプラットフォームはすでに登場しているが、情報の受け手である生活者のメリットを最大化するプラットフォームの登場も待たれるのではないかと考えている。これにはプライバシー保護の観点も含まれる。
これを読むと、CSPは広告を中心としたDSPやSSPの延長のように思える。しかし、CSPというコトバが使われ始めてから2年が経過して開催されたこの研究会では、CSPはより広範に消費者の生活と結びついたものだ、ということが事例なども踏まえて、具体的に見えてきた。
パーソナルデータにまつわる問題を打開する、インテンション・エコノミー
研究会のキーノートスピーチは、NRI 城田真琴氏によって行われた。その要点を少し補いつつ示すと次のようになる。
- パーソナルデータは21世紀の石油だ。それだけの価値がある。
- パーソナルデータは、本人同意を得た上で収集されているものの、データは集めた企業のものになっており、データを提供した人がどこでどのように使われているかわかりにくい。
- 問題はパーソナルデータを提供した人が、そのデータをコントロールできないことにある。
- 情報流通の不透明性に加え、取得側(企業側)と提供側(消費者)間の情報保持量の非対称性によって、企業側またはサプライサイドに一方的に有利な状況を生んでいる。
- ただ、こうした状況は必ずしも企業側にとって都合のいいことばかりとは限らない。パーソナルデータの囲い込みによって、顧客の欲求や意向を明確に把握する余地を狭めてしまい、マーケティングの非効率化、効果低減につながるからである。
アテンション・エコノミーからインテンション・エコノミーへ
(※画像クリックで拡大)
- その状況を打開するパラダイムが、インテンション・エコノミー(顧客の意思を中心とした経済)である。
- 企業が顧客の関心(Attention)を引くことを中心としてなり立っている現在の仕組みを、アテンション・エコノミーと呼び、消費者が自分の意思(Intention)を企業に伝えることによって成り立つ経済の仕組みを、インテンション・エコノミーと呼ぶ。
- インテンション・エコノミーにおいて、企業に自分の意思を伝える際、消費者は必要に応じて自分の情報(パーソナルデータ)を公開することになる。
- インテンション・エコノミーを具現化するための方策は、VRM(Vendor Relationship Management)である。これは顧客が企業との関係を結ぶというもので、アテンション・エコノミーにおけるCRM(Customer Relationship Management)において、企業が顧客との関係構築を行うものであったことと、主従の関係を逆にするものである。
- インテンション・エコノミーは、今後普及の度を高めると思われる。それを加速させる仕組みとして、VRMを具現化したPDS(パーソナル・データ・ストア)がある。
- 英米政府も情報非対称性を是正し、消費者権限強化策を推進しており、銀行、カード、通信、エネルギー業界などが対応を迫られている。
エストニアの電子政府化と国民ID制度
パーソナルデータが、消費者と行政機関、企業の間で円滑に流通している例として、国民IDに各種データが紐付いているエストニアの状況について、エストニア投資庁日本支局長 山口功作氏から紹介された。平たく言えば、エストニアではCSPに相当するものが存在し、機能しているということである。
- 国民ID制度を支えている国家の基本理念が「透明性」にあり、すべての施策はその理念のもとに行われている。
- 国民ID制度のもたらすもっとも重要なポイントは、データ所有の主権が個人(国民)にあるということである。個人データは民間のものでも国家のものでもない。
- 自分が所有するデータに、誰がいつ、何の目的でアクセスしたかを確認することができる。
- 自分が所有するデータを開示するかどうか、都度確認できるようなやり方になっている。例えば納税の際に、銀行の取引データを税務署に対して開示してよい、ということに対して電子署名で意思表示してはじめて税務システムにデータが引き渡される。
- ビジネスへの応用を考えると、利用価値があるのは国民IDそのものではなく、IDカードに入っている公的個人認証や電子署名の機能である。
- エストニアでは、国民IDのカードでほぼすべての個人認証を済ませられるので、民間が発行するプラスチックのポイントカードのようなものはない、と言える。
- EUでは、現在データ保護規制を構築中で、その中には忘れられる権利のようなものも含む。その上で、EUでのデジタル市場を一元化すべく、欧州委員会の協議・検討にエストニアが貢献する形で進めている。
日本におけるマイナンバーカードがエストニアのように普及し、国民に利便性をもたらすかどうかは、サービス提供者との信頼関係の有無に大きく依存する。その第一歩が「データは個人に所属するものだ」という考え方の徹底にある、と私は思った。それこそがコンシューマー・セントリックなマーケティングの基本だし、それがあってはじめてCSPが機能するであろうからだ。
わが国のデータのインテグレーションは不充分。情報開示に消極的な日本人。
ディスカッションに際しての、インテージ 伊藤直之氏の問題提起プレゼンテーションは盛りだくさんであった。これは事例の宝庫なので、ぜひFacebookでご覧いただきたい。気になった点を指摘しておく。
- ポイントカードによる消費が全消費金額のどのくらいを占めるかについて推計したところ、わずか6%にすぎない。これだけで、消費者の行動を把握できているとは言いがたい。
- 個人情報のコントロールに対する主体性に関して、日本人は諸外国に較べると消極的だと考えられる。そのことがCSPを使ったビジネスの普及を妨げる要因になるかもしれない。
なお、生活者の情報が極めて限定的な状況を鑑み、インテージ社はマーケティングリサーチの立場から、伊藤氏を推進役として上図のようなスキームでのCSPの実現を目指している。
集めないビッグデータ
続いての東京大学ソーシャルICT研究センター教授 橋田浩一氏のプレゼンテーションは、「集めないビッグデータ」というタイトル。城田氏のプレゼンテーションで紹介されたPDSを橋田氏は実験的に構築している。「集めない」というのは、パーソナルデータの管理を個人に分散し、本人同意に基づいてそのデータを共有し活用する、ということである。それは、データの管理が特定の事業者に依存しない、ということをも意味する。
実例として、介護記録データや医療データを本人(またはその家族)が管理し、複数の事業者などと共有可能な状態で運用している。まだ1人のデータに対する運用だが、分散システムなので同じ仕組みのまま何億人にでも拡張可能である。
家電の保証書をクラウドで管理し、サービスが受けられる
最後は、Warrantee代表取締役 庄野祐介氏が、自社の取り組みを紹介した。Warranteeは、インテージ 伊藤氏のプレゼンテーションで紹介されている代理機関にあたる。代理機関というのは、パーソナルデータを持つ個人の依頼により、その人の代理としてデータの管理を行う機関のことである。
Warranteeは、家電の購買記録データなどの個人データを預かり、その製品の電子化した保証書をクラウドで管理するサービスである。動画を見るとその便利さがわかると思う。Warranteeは今後、外部サービスと提携して、例えばメンテナンスやリコールの通知サービスを受けられるようなる、などのサービス拡張を予定しているそうだが、どのサービス運営者に自分の情報を提供するかを個別に選べるようになっていることが、CSPとしてのユーザーメリットだ。
第7回総会のまとめ
CSPの意義は、データの所有・管理権限を個人が持つことにある。その基盤となる、インテンション・エコノミーが支配的になるということは、顧客の経験価値を重視するというセオリーが、企業にとってますます重要になってくるということに他ならない。
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |