文:大下文輔
1985年にJWTロンドンオフィスに派遣され、アカウントプランニング(以下、APとするが、APを職種の名前であるアカウントランナーの意味で使うこともある)のトレーニングを積み、日本で最初のAPの部署でプランナーとして活動された、馬場成樹さんと森田廣美さんへのインタビューを、再構成してお届けする。
【前編はこちら】
アカウントプランナーのワーキングスタイルとその日常
前にも話したように、アカウントプランナーはアカウントチームの一員だという意識を強く持っている。広告会社によっては、APはアカウントチームの中に組み込まれ、セクションそのものがないところもあった。JWTでは、APの独立性(チームの下請けにならない)、プランナー同士の刺激・情報交換、教育などの視点からプランニングセクションが設けられていた。
セクションに属してはいたが、プランナーはそれぞれ一国一城の主でありとても個性的で、プランナーになる前のキャリアやバックグラウンドや資質もばらばら、仕事のやり方なども各自自分流のやり方を持っていた。(日本でも今では当たり前かもしれないが。)
データ分析をベースにオーソドックスなやり方をとるプランナーもいれば、質的調査を多用し自分の直観を重視するプランナーもいた。「プランナーが変わればストラテジーが変わる」とは、よくロンドンで繰り返し聞かされた。また、個々のプランナーの資質とクライアントのタイプを考慮して割り当てるのもトップの仕事であった。
そんな彼らに、ロンドンでは狭いながらも個室が与えられていた。プランナーは普段はあまりそこにはおらず、Account Representative (以下、AR。前編を参照)やクリエイティブのところにいるかクライアントに出かけていることが多かった。しかし、プレゼンテーション前にはそこで徹夜をして準備するし、重要な資料を作成する時にはそこに籠もりきりになる。それぞれのメンターもそうした状況になると、部屋に閉じ籠もって相手にしてもらえないこともあった。プランナーの仕事は分散と集中。時に1人で集中できるこういったスペースを持てるのはうらやましかった。
イギリスは、なにかにつけて階級社会だ。広告会社の中でもそれが反映され、仕事のやり方にも影響しているように感じた。大雑把を許してもらえれば、ARとAPはエリート、クリエイティブなどは職人階級、サポートスタッフはワーカーといったような感じだ。実際、ARとAPは出身校がいわゆるオックスブリッジが中心で、意識も違えば話す言葉も違う。付き合いの範囲も違う。大手クライアントの幹部社員と同じ学校であることも多い。お昼時も社内のキャンティーン(社員食堂)を利用せず、外で食事をし、時に時間をかけてゆったりとワインを楽しむ(ロンドンでの接待はランチタイム)。出張の時は一等車。最上階にある特別なバーを利用できるなど。
こういう背景もあってか、チーム内での働き方、縦の役割分担がよりはっきりしていたように思った。チーム内でARとAPが非常に強いリーダーシップをとる。ほぼARとAPだけで方向とシナリオを決め、クリエイティブやメディアには発注を出すという感じである。(日本でも基本は変わらないが、スタッフとの事前の双方向性はもう少しあるように思った。)
ロンドンのクリエイター(日本のクリエイティブとの相違)
日本でもロンドンでもクリエイターは一種の職人である。ただ、その「職人気質のタイプ、力点の置き所」に微妙な違いを感じられて面白かった。
まず、当時のロンドンのクリエイターと日本のクリエイターには、そのアイデアの種類に差があるように感じた。ロンドンのクリエイターは基本的にはAPからの方向性を踏まえた戦略をベースとして、フォーカスすべきプロダクトの特性に応じたもの、ベネフィットを強調したもの、消費者反応を考慮したものというベースに関しては外さない。
翻って日本のクリエイターは一般に、表現のインパクトをまず重視しているように思えた。それには日本のテレビ広告が主に15秒であるという制限も大きく影響していたと思う。コマーシャル・クラッターの中、15秒でとにかく「目立つ/印象づける」、短い時間で「顔/名前/人格」の最低限の印象付けを行うことがまずもって要請されるという環境の違いによるものではないか。
実際、この「15秒ベースでのアイデア開発」という制約が、APシステムによるアイデア開発を行っていくうえで、日本のクリエイターに課せられた(ロンドンにはない)大きなハードルの一つであったと思う。
一方で、ロンドンのクリエイターは、自分たちの仕事を「アイデアの繰り出しに特化した職人」だと割り切っていたように思う。(これは上記の階級社会的「働き方」とも関係すると思うが。)
クリエイティブディレクターとのインタビューで垣間見えた本音は、方向の設定、戦略への関与といったことにはあまり関心がない、消費者理解などにも積極的にはエネルギーを使いたがらない。とにかく、「何でもいいから設定してくれたら、それに合わせて、アイデアをどんどん出すぜ」という態度を感じた。
確かに彼らはクリスプでぶっ飛んだアイデアをどんどん出してくる。多少オフストラテジーやできないアイデアでも面白ければ平気でとりあえず出して、ダメならひっこめようという態度である。
あえて対比させれば、日本のクリエイターは、消費者や商品・マーケットなどの理解にも真面目に取り組み、戦略的思考もでき、クライアントの制約や志向をも見繕って客の要望にはまるアイデアを提案する、いわばテイラーのような職人気質ではなかろうか。一方で、時になかなかぶっ飛べない。
どちらが良いということではないが、ロンドン型の割り切った働き方にもある種の潔さとパワーを感じた。
ただその後、特に近年ではメディアや戦術の多様化によって、アイデア開発にもチーム構成員間の相互作用がますます必要とされている。そういう意味では当時のロンドン型の狭く割り切った職人というよりは、プランニングやクライアントともツー・ウエイのコミュニケーションがとれるクリエイターの資質がより重要になってきているのだろうとは思う。
持って帰ったのは仕事の仕方
先にも少し述べたが、APの導入ということは、単に組織の変更にとどまらず、広告の品質管理、広告制作に関係するすべての人々の働き方(および意識)の変更に関わってくる大きな変革であり、周到な準備と多大な労力(と投資)を必要とした。
まず必要なのは啓蒙と教育である。派遣を命じたVP(副社長)の指揮のもと、APだけでなく、AR、クリエイティブ、メディアなどの中核スタッフをも巻き込んだ集中教育プログラムが計画・実施されていった。その中核は合宿による集中トレーニングであった。教科書としてはAPの具体的方法論や重要な概念について集約されたプランニング・ツールキットを急遽翻訳して用意した。だが重要なのは、ワークショップスタイルで、アカウントプランナー入ったアカウントチームによるチームワークで実際に広告開発を経験してもらうことであった。データ解釈から戦略立案、実施プラン、クリエイティブ、そして売り込みのプレゼンまで、チームによる広告開発の流れおよび醍醐味を体験してもらうことであった。

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JWTには以前からトンプソンウェイという広告開発マニュアルがあり、ブリーフをもとにクリエイティブ制作をしていた。そういう意味では、受け入れる基本の素養はあったわけであるが、ARにとっては余計な手間と時間がかかるのではないか、クリエイティブにしてみればアイデアが制約されるのではないかといった不安はあったと思う。彼らが実際のプロセスを実感し、それぞれ担当するクライアントの状況と結びつけて考えてみることが重要であった。
クライアントへのAPの導入も並行してすぐに行われた。ただし、はじめのうちは主要なクライアントからで、当時JWT-Jの主要クライアントはほとんどがグローバルな外資系で、本社では既にアカウントプランニングシステムの代理店と仕事をしており、APが入って仕事をしていくことに特に違和感を持たれることはなかった。
ただそれでも、新参ものであり、APという、名前からは何をするのかよくわからない人が増えるわけである。日々の仕事でのデモンストレーションを心がけるのはもとより、クライアントにとって興味ありそうなテーマで大規模なスタディなどを自主的にプレゼンテーションすることなども心がけた。
(社外的にも社内的にも、当時は「APって必要なの?」という視線があること(ありうること)を、当時のプランナーはどこかで意識していたと思う。)
もう一つユニークだったのは、Q-Searchという質調査の機能をプランニングセクション内に設けたことである。これによって、APの一つのよりどころである消費者の目線やコンシューマーインサイト発見の臨機応変な有力サポートとなった。
JWT-Jが、こういったQ-Searchのような機能も入れてAPの体制を整え、全社を巻き込んで広告の作り方を変えていくという、当時としては先駆的な取り組みができたのは、当時のVP別島氏の構想とリーダーシップがあったればこそであったと、あらためて思う。
アカウントプランニングのもたらしたもの
日本でAPをやってみると、イギリスの広告文化とは異なる背景からくるさまざまやギャップ違和感もあると言えるが、踏み込んだ議論は別の機会に譲りたい。
APは、新しい仕事の仕方を東京のオフィスに持ち込んだと言えるが、必ずしもすべてがスムーズに運用されたというわけではない。現実のビジネスは複雑であり、クライアントおよびクライアントの要望もまたさまざまである。ロンドンとはマーケットや消費者の違いだけでなく、広告環境・文化、15秒中心のTVCFによる広告の性格の違いとアイデアの制約、クライアントの意識・規模、JWTの置かれた状況なども違っていた。
それでも消費者視点での広告作りという、当時としては新しく明確なビジョンを持ち、プランナーにより広い役割を与え、営業、クリエイティブ、メディアなどプランナー以外の人にも戦略的意識を持つことを育んだ、といった点で、その後のトータルプランニング、ホリスティックなアプローチへとつながっていくきっかけとなったと言えるだろう。また、アカウントプランニングは、コミュニケーションの基本にブランド・パーソナリティーを意識するという側面があり、日本のマーケットにおけるブランディング、ブランドマネジメントの意識の醸成にも多少なりとも貢献したように思う。
「アカウントプランニングでプランニングの型、方法論を会得したことがその後の仕事の背骨になっています」と森田さんは言う。それは当時SPDでアカウントプランナーとして仕事をしていたメンバー共通の思いではなかろうか。
インタビュー日時:2016年9月27日
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |