文:大下文輔
一橋ビジネスレビューの2016年秋号の特集「新しい産業革命」を総括した「第9回 一橋ビジネスレビュー・スタディセッション」。レポートの後編をお届けする。
【前編はこちら】
マーケティングの主語は誰か?
続いて、スケダチ代表取締役 高広伯彦氏が「民主化するマーケティング――既に起こっているマーケティングの近未来」と題して講演した。高広氏は実際にはサンフランシスコに本拠を置く、ネイティブ広告の会社の日本の窓口の仕事に大半の時間を割いている。同時に、4月から京都大学の大学院でマーケティングの研究を始めた。

「民主化するマーケティング」と言う時、民主化というコトバには2つの意味がある。1つは、デジタルが中小企業に高額の費用負担なく、広告主になれる機会をもたらしたことである。
今回の講演では民主化のもう1つの側面に関わることが話された。すなわち藤川准教授との共著論文でのテーマにした「マーケティングの主語は誰なのか」という問題についてである。
従来の消費者行動モデルが破壊された出来事
高広氏の最近の経験によれば、ヨーロッパでは11万台の販売実績があるシトロエンのC4カクタスというクルマがある。このクルマの日本での販売受付が2016年10月4日に限定200台で開始された。そのディーラーに足を運んでみると、販売店には実車が置かれておらず、カタログもない。そこにあったのは諸元表のコピーと、抽選の申込受付書の、たった2枚の紙である。にもかかわらず、予定販売台数を上回る抽選申込があったという。
シトロエンの件で起こったことは、「企業側が情報を提供し、それに基づいて消費者は意思決定をくだす」という消費者行動モデルが破壊されたことである。企業側が情報提供せずとも、買い手側が、インターネット上のレビューなどを参照することで、自分たちで情報を取得し再構成して自らの意思決定をしたとしても、企業は販売目標をクリアできたという、従来の感覚からするとショッキングな事実が残された。
このことがマーケターに突きつける問いは、そもそも「マーケティング情報を“送る”」という考え方で良いのかということである。そうなると消費者行動モデルの見直し、すなわち購買プロセスの変化やマーケティングプロセスの変化などによる根本的な見直しを迫られる。
注意(Attention)以外のきっかけによるモデルを
世の中に流通する情報量はどんどん増え続けているが、消費できる情報には限りがある。こうした情報過剰の状況では、企業にとって「選択される情報になり得るかどうか」が重要である。その際、「選択される情報」を企業が単独で作り上げるのか、それとも別の考え方があるのか、が議論のポイントになる。
これまで、消費者の購買プロセスとして日本で知られ使われてきた「AIDMA」「AISAS」「AISCEAS」などは、すべて注意喚起を意味するA(Attention)から始まっている。「注意を惹く」というのは、企業を主語としたマーケティングのマインドセットの表れに他ならない。デジタル時代に適合させて、「何が行動の“トリガー”になったか」ということを重視した、買い手の側から見た購買行動を考えるべきだ、と高広氏は語り、論文に詳述されているGoogleの提唱したZMOT(Zero Moment of Truth)を起点としたモデルの提案が紹介された。
インターネットなどのテクノロジーにより、情報取得がしやすくなることで、企業がヘゲモニーをとるような情報の非対称性が崩れ、消費者が情報をコントロールする時代に入ってきたと言えるだろう。
以上は情報取得という観点からの民主化についてであるが、情報の作り手は誰なのか、という観点からの民主化についても言及された。誰しもインターネットでさまざまな情報を見ている。イギリスの社会学者のデイヴィット・ゴーントレットが“Making is connecting”というタイトルを冠する本を著した。この本で彼は、椅子に座って話を聴くという受け身の態度から、作って何かをする能動的な方向に人々は向かっていると主張している。消費者が情報を創造し、作られた情報が他者にとって役に立つ情報として伝播していくという、情報のありかたに注目している。

消費者が情報をコントロールする時代へ
シトロエンの例で見たように、消費者は自ら情報を取得し判断するというように自己学習する(self-educating)システムを持っているとも考えられている。そのことに企業はどう対応するのかを考える必要がある。
これに関連して、高広氏はCRMの対になるコトバとしてVRM(Vendor Relationship Management)を紹介した。VRMはCRMが「企業が顧客を管理する」ものであったのに対し、VRMでは「消費者が企業(ベンダー)を管理する」という考え方をとる。CRMからVRMへの転換をより巨視的に見れば、消費者の注意を惹こうとするタイプの経済、すなわちアテンションエコノミーから消費者の意思に基づく経済、すなわちインテンションエコノミーへの転換を意味する。
デジタル技術がもたらす変化は、主に次の6つのポイントからなると思われる。
1.情報量が増え続けることによって、消費者のアテンションを集めることが困難になり、インテンションを重視することが要請されるようになった。
2.A(消費者の注意を惹くこと)から始まる購買行動・情報行動のモデルから脱却することをマーケターは考える必要がある。
3.消費者(買い手)自身に情報のコントロール権がシフトする。
4.消費者自身が情報の作り手になる。
5.消費者の行動が情報になる。
6.消費者自身が自らを教育し続ける。
高広氏は次のように締めくくった。デジタル技術がもたらした「マーケティングの民主化」とは、「売り手の、売り手のための、売り手によるマーケティングから、買い手の、買い手のための、買い手によるマーケティングへの変化」であり、それはすなわち、「マーケティングの主権が、買い手になること」だと言える。
ハードウェア至上主義からの脱却とオープンさ、スピードアップが鍵
以上の講演後、一橋大学大学院の野間幹晴准教授をモデレーターとし、「デジタル技術と産業再編─日本企業は創造的破壊に対応できるか?」と題する演者3人によるディスカッションが行われた。

議題の1つは、「テクノロジーがもたらす産業の変革の中で、日本企業が競争力を維持するために必要なことは何か」であった。その議論を総括すると、1)ハードウェア至上主義に陥らないこと、 2)組織、業界、国境の枠を開いて地球規模に拡がる資源を活かすこと、が重要とされた。めまぐるしいスピードで変化が起こる中、日本の労働慣行、雇用、組織作りが課題となる。とりわけ意思決定のスピードアップを図る必要がある。
ハードウェア至上主義から脱却するためには、ハードとソフトという分類を廃し、すべてがサービスであると考える方法があること、「モノづくりより価値づくり」という観点で経営を捉え直すべきだとの指摘があった。
また、スピードアップについては、アメリカの場合、テクノロジーに明るい人が役員として経営層に直接アドバイスをできるケース(例えばディズニーの60代のCEOに対して、30代のIT関係の役員)が多いという話があるが、日本も経営メンバーに若いIT関係者を社外取締役のような形で取り込む工夫があっても良いのだろう。
逆に日本において可能性があることとして2つの領域が挙げられた。1つは、ロボットや自動運転などのテクノロジーの応用として高齢者向けのサービス分野があること、もう1つは1,700兆円と言われている金融資産を動かすことである。
他人ごとではすまされないテクノロジーの影響
その流れで、FinTechの応用はあらゆる分野に係わるはずなのに、なぜか日本では金融のものとして受け止められている、ということが指摘された。オーディエンスとして参加していた、ネットビジネスの研究者である早稲田ビジネススクールの根来龍之教授からも、「こうしたテクノロジーの話をすると、面白いけれど自分に関係ないという反応が返ってくることが多い」という発言があった。すなわち、デジタル技術がおよぼす影響の広範さに気づかず、見過ごしてしまうことこそが、競争力や適応力を低下させるのではないか、ということである。
新たな産業革命の渦中にあるという認識のもとに、テクノロジーがビジネスをあるいはマーケティングをどう変えるのか、という課題に自分ごととして取り組むことが、今マーケターに必要とされている、という思いを新たにしたスタディセッションだった。
イベント日時:2016年10月13日
場所:経済倶楽部ホール
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |