2016年10月5日、Adobe主催の「Digital Marketing Symposium 2016」が開かれ、Adobeの担当者やパートナー企業、顧客企業などが登壇し、顧客体験中心時代のデジタルマーケティングの取り組み方についてセッションを行った。前回のレポート記事「日産自動車が考えるDigital Customer Journey最適化」に続き、今回はグロービス経営大学院の武井涼子氏とアドビ システムズの祖谷考克氏が、「デジタル時代の次世代マーケティングとは」をテーマに語り合ったセッションをレポートする。

デジタル時代、これまでのマーケティング手法は通用しない
今、デジタル時代と言われている中でマーケティングはどう変わっていくのだろうか。
本題に入る前に、武井氏からこれまでのマーケティングの基本的な手法について解説が行われた。
一般的なマーケティングの手法は、「商品の機能的な特徴、利便性を確認」、「社会調査手法を利用して定量的に分析/言語化」、「商品特徴からコミュニケーションに利用する代表的なものを絞り込み、セグメントと競合を決定」、「顧客は合理的に購買の意思決定を行うと考え、ターゲット選定、ポジショニング選定を実施」というのが基本的な流れである。
4大メディア(新聞、雑誌、ラジオ、テレビ)中心だった時代が大きく変わりデジタル化が進んだ現在では、「今までの世界でやっていたマーケティング手法を、そのまま何度繰り返しても効果はない」と武井氏は言う。
さらにデジタル化のスピードに応えるため、広告代理店がデジタル部門を立ち上げ、対応していくという動きが加速しているが、デジタルメディアを通じて顧客とどのようにエンゲージメントしていくかは、4大メディアに比べて知見もなく、収益性などの課題も含め、なかなか先手を打つということが難しい状況にある。
祖谷氏は、これまでのマーケティングが通用しなくなった理由は2つあると言う。
1つは「類似する商品やサービスの数が非常に増えてきた」ことだ。
「一消費者の立場で見ると、いろいろなものが目の前にあり、商品やサービスの差が正直よくわからない。差がわからないから、機能がどう違うのかもわからないし、どういう基準で選んでいいのかもわからなくなる」(祖谷氏)
もう1つは、「それを伝えるメディアも非常に細分化されてきた」ということだ。
「昔はTVCMが中心で、スキップすることができないため、いつの間にか商品のことを刷り込まれていた。最近はメディアが細分化し、あらゆる情報に接する機会が増え、商品機能の違いだけではわかりにくくなってきた」(祖谷氏)
では、どのように商品を差別化していけばいいのだろうか?
祖谷氏は、「改めてブランドというものが大事になってくる」と力強く言う。
知覚品質に大きな影響を与えるブランドイメージ
次世代マーケティングを考える上で大切なのは、まずブランドという言葉の重要性を再認識することである。
アメリカで複数メーカーのビールのブランド名を表示して飲んだときと、ブランド名がわからないようブラインドテイストしたときの味の違いのテストが行われた。ブランド名を明示してある方は味の違いに明確なバラつきがあったが、ブラインドテイストでは、1つのメーカーを除き、味の違いがほぼないという結果になった。これはブランドイメージが知覚品質に大きな影響を与えているということを示している。

デジタルマーケティングというと、どうしてもテクノロジーの話が注目されがちだが、祖谷氏は「お客さまと何を約束するのか、サービス、製品が提供するバリューは何なのかをしっかり伝えられることが大事です。マーケターは今だからこそブランドというものに着目してほしい」と力説する。
ポジショニングステートメントによる “絞りすぎ”の問題
では、ブランドをどのように伝えていけばいいのだろうか?
従来のブランド戦略は「誰に」、「どんな枠組みの中で」、「何を提供するのか」、「なぜそれがこのブランドだからできると信じられるのか?」というポジショニングステートメントに集約されていた。
「ポジショニングというのは顧客の中にイメージショットをパチンと作る作業だとよく言われていました。確かに重要なことなのですが、これだけだと、“絞りすぎ”という問題が出てきてしまう。例えば、縮れ麺に特徴があるカップ麺を売る場合、縮れ麺に対してさまざまなアプローチをします。しかし、麺にこだわりのない方たちもいる。こうした方たちにもアプローチしていきたいと思ったとき、縮れ麺をいくら強調したところで意味がない」(武井氏)。
今までのブランド戦略は“絞りすぎ”でも通用していた。しかし、今の時代は一人ひとりのユーザーに最適な、カスタマイズしたものを出せるという時代だ。そうなると、“絞りすぎ”たポジショニングステートメントではなく、もっと広いユーザーの、さまざまなインサイト(購買意欲の核心)をどのように掴んでいくのかが重要になってくる。
デジタルがマーケティングの中で重要度を増してきている現在、ポイントとなるのは、スマートフォンを中心としたモバイルの存在に視点を置くことだ。今やスマートフォンはインフラと言えるほど、その普及率の高さは特筆すべきものがあり、「ポケモンGO」もスマートフォンがインフラとしての地位を確立していなければ、あのような熱狂的な現象にはならなかっただろう。
時代はデスクトップパソコンからラップトップ、そしてスマートフォンへと移り、センサーが人体に近づくほど個人データが特定しやすくなってきた。さらに、デジタル化により、ユーザーは何らかの形でどこかにフットプリント(足跡)を残しているため、完全に情報のないユーザーは、もうこの世の中に存在しなくなってきている。
「今や社会で生活している人に、完全にアノニマス(匿名)な個人はもういない。そうしたユーザーを広い網で、しかもターゲット層だけを見つけ、掴んでいくような施策をデジタルでどのように行っていくのか。その議論が片手落ちになっている。また、このような時代には、情報を集めることを考えるより、すでに情報のある人をいかにホットにし、顧客にするかという視点で動いた方が早い」(武井氏)。
現在、日本においてスマートフォンに接触するモーメントは、1日で推計120億回を超えているといわれている。こうした非常に大きな数字のなかで、ユーザーからどのように情報を収集し、どのようなコミュニケーションを展開していけばいいのだろうか?そしてブランドを伝え、選ばれるための鍵となるのは何だろうか?
選ばれるためのエクスペリエンスを提供する
ブランドを伝え、選ばれるための鍵となるものは「エクスペリエンス(経験価値)」であり、一貫して、継続して、そして心を掴んで離さないようなコンテンツがブランドを伝える上で非常に重要である。
「それには顧客を深く理解した心遣いのあるコミュニケーションをする必要がある。心遣いというのは、気が利くということはもちろん、お客さまの情報を守るというセキュアな部分もある。メッセージでは、テクノロジーの難しさを意識させることなく、しかも、“いつでも”喜びを感じてもらえることが非常に重要です。なぜ、“いつでも”かというと、昨日の嬉しい経験は、今日には当たり前になっているからです。はじめてiPhone3Gを手にした時の喜びは覚えていますが、今手にして満足できるかと言うと、そうはならない。そういう意味で“つねにお客さまの期待値を超え続けること”を意識しないとならない」(祖谷氏)。

そこでも、やはりブランドの視点が非常に重要となる。
例えば、ユーザーがスマートフォンで高級旅館を探す。その後、高級旅館のリターゲティング広告が続くが、そのとき高級旅館に相応しいブランド価値を提供しなければ、ユーザーが高級旅館に対して期待していたイメージがどんどん崩壊していくことになる。
「リターゲティングで表示されたのは、ブランド価値を伝えるために何の工夫もされていない旅館名とURL表記。高級旅館に相応しくなく嫌になるわけです。そうした機会損失は数字で出てこない。それでも、その高級旅館は効率が良いとリターゲティング広告を使い続けるわけですが、実際は、ロイヤルカスタマーになりうる見込客の種をみずから潰してしまっているんです」(祖谷氏)。
ブランドがユーザーの期待していることを逸脱し、効率だけを追い求めることは、マイナスの効果となっていることになるのだ。
顧客とのタッチポイントを広く求めていく
企業としてはブランドに合ったユーザーを獲得したい。そうするためにはブランドコアを中心としたコミュニケーション、メッセージ、そして商品への関りとはまったく関係のないところに対しても、さまざまなチャネルでアタックをかけていかなくてはならない。
「お客さまは我々を選ぶ。でも、我々もお客さまを選ぶという時代になっている。その時のコミュニケーションが少なくともブランドのコアで守られているものでないと、お客さまから嫌だと言われたときに、構わないですよと我々は声を大にして言えなくなる。その時に出していくメッセージが、我々から見た時に明確で効率的でかつ美しいかどうかということが非常に重要です。キーワードひとつであっても、どのようなキーワードで会社を規定したいと思うのか、深く突き詰めて考えなければならない時代に来ている」(武井氏)。
「こういう顧客とエンゲージメントを図りたいというしっかりとした意思がないと、これからは生き残ってはいけない」(祖谷氏)。
ブランドに合ったユーザー獲得には、「商品への関わりはなくても良いのか?」と思われる方もいるかもしれない。しかし武井氏は「商品との関わりではなく、お客さまのライフステージに対して、何らかの有益な情報を出していくという状況があればいい。その時に、偶然その会社の名前が刷り込まれていくというところまでいかなければ、顧客がロイヤルカスタマーにならない」と言う。
カスタマージャーニーを描くと、顧客視点ではなく、どうしても商品視点になってしまう。商品やブランドとはまったく関係ないものであっても、どのようなタッチポイントを求めていくべきか、提供できるかということを考え抜く。それによって顧客のインサイトをすくい取っていくという幅広い考え方がこれからは必要になる。
次世代マーケティングに必要なのはインソースのクリエイティブ
マーケティング専門家バーンド・シュミット氏は著書「経験価値マネジメント」のなかで、「商品を買ってもらうために、商品を買うモーメントの周りにある経験をすべてコントロールしなければならない」と言っているが、武井氏は「今は商品を買ってもらう前の経験、商品を買ってもらった後の経験、そして再び買ってもらった後の経験までコントロールしなければならない。それをコンテンツにまで卸すことができる技術もできてきた。ですからクリエイティブもインソースが大切。クリエイティブのプロが内部でタイムリーに出していくことが重要になってきます」と言う。
次世代マーケティングに必要な人材、組織は、今後「クリエイティブ」が大きな鍵となってくる。
「官僚的で意思決定体制のしっかりした組織では新しいものは生まれない。創造的な破壊をするために、クリエイティブ部門を含めたマネージと変革をもたらすリーダーが率いる組織、チームが必要です」(祖谷氏)。

最後に祖谷氏が元プロアイスホッケー選手ウェイン・グレツキー氏の言葉を紹介した。
「普通の選手はパック(試合球)が今ある場所に意識を集中している。だが、素晴らしい選手ほどパックがこれからどこにいくかに焦点を合わせているものなんだ」。そしてグレツキー氏はこう続ける。「私はパックがあるところに滑っていくのではない。パックが向かうべきところに滑っていくのだ」。
「これは、今まさにマーケターが、目の前で起きていることに対してアクションしていくのか。数年後の未来を見てアクションしていくのか。それによって、グッドマーケターになるのかグレートマーケターになるのかが変わるのではないかと思います」と祖谷氏は述べ、セッションを締めくくった。