文:大下文輔
マーケティングのリサーチャーによる、リサーチャーのための勉強会であるJMRX。今回は、本田技研工業の加藤拓巳氏による、マーケティングサイエンスによるビジネスアプローチについてのプレゼンテーションであった。
加藤氏はマーケティングの戦略立案の仕事をしている。それは、理論とデータと経験をもとに、「どのようにすれば購買確率を上げられるか」についての意思決定を支援する役割であるとも言える。
以下、ダイジェストしてお届けするが、プレゼンターである加藤氏を話者として記述した。
変化する競合環境の中で、求められるのは意味的価値づくり
製造業、そしてその他の多くの業種において、機能的価値(性能)は決定的に重要であり、投資の必要な分野であることに変わりはないが、性能、スペックによる差異化は困難になっており、価格競争にともすれば陥ってしまう。
そこから抜け出すためには、意味的価値を求めるしかない。自動車業界の競争は、自動運転を除き、価格の競争になるか、そうでない場合は意味的価値の競争かのいずれかになっている。機能・性能と結びついた価格に対峙するのは数値で評価のしにくい「感性」寄りの意味的価値である。
意味的価値とは、消費者の自己表現やこだわりにより、主観的に意味づけることから生まれる価値を指す。意味的価値を大きく3つに分けると、何かを使うことで心地よくなる「情緒的価値」、自分をよく見せることができる「自己表現価値」、世の中に貢献できる「外部貢献価値」になるだろう。
意味的価値を生む源泉は、まず、その商品が何であるかを一言で表す「コンセプト(Holistic Interface)」、2つ目は機能の数百倍の価値があると言われている「ユーザー体験(Physical Interface)」、3つ目は、一瞬で判断される「デザイン(Visual Interface)」が挙げられる。
意味的価値を生み出すに当たり、Steve Jobsであれば天才的直感によって、「iPodはシンプルであるべき。3回以上ユーザーに操作させてはいけない、ボタンは1つに限る」といった箴言(しんげん)的な指示ができるだろうが、その域に達しない我々実務家は、サイエンスを駆使してよりよい答えを探すべきである。
課題解決の要因を見極め、経験値として活かす
課題を目の前にして、現実問題として起こることは、場当たり的な仮説と意思決定によって物事が進んでしまうことである。例えば、新商品の初期の売上が思ったほど伸びなかった場合、価格設定が誤っていたから変えよう、販売インセンティブを増やせばどうにかなるはずだ、広告で起用したタレントのキャスティングが良くなかったのではないかなど、「こうではないか」と思えるものを犯人扱いし、検証のないまま対応する。それでは、経験値が蓄積されず、意思決定の判断基準が曖昧なままに終わる。
とりわけ、ある課題に対して、同時多発的に考えられる限りの手を尽くす、といった戦略なき実行は、思考停止と言わざるを得ない。なぜなら、たとえ効果があがっても何が要因だったのかがわからず、ノウハウとして残せず、組織強化につながらないからである。
このようなことが起こってしまう要因として3つの要因が考えられる。
まずは「報酬」であるが、会議が多く、オペレーションの遂行に時間が取られてしまう現状では、優れた市場情報を提供することが、評価につながらないことである。
2点目は「利害」である。成果を求められる部門が調査・分析を行うと、利害関係による意思が働き、正しい市場情報を知ることから遠ざかってしまう。
3点目は「スキル」である。統計や機械学習などの知識を持ち、ビジネスの課題に対して適切なモデルを構築して示唆を与えられる人材はごくわずかしかいない。
サイエンスアプローチを遂行できるマーケターのスキルセット
この問題に対処するためには、アナリティクス・ビジネススキルを持つ人材を利害の及ばない第三者組織として集約し、そこが意思決定を支援するようにすべきである。「お客さまの声を拾う」などと簡単に言うが、それには高度なスキルが必要だ。クルマの会社にはエンジンをつくるプロがいるのと同様に、消費者の行動や嗜好(しこう)についてのプロが必要とされるはずだ。
マーケティングサイエンスアプローチのためのスキルセットを図1に示した。プロとして能力を発揮するためには4つのスキルが必要と考えている。
第1のスキルは、市場を正確に知るための「調査」能力である。「恣意(しい)的な数字を使うことなく、目的に則した、市場代表性のある数値を取ってくる調査力」が求められる。ビジネス課題に向き合っている事業会社のマーケター自身が、調査会社に頼ることなく、調査の際に最も重要な調査設計ができないといけない。データ分析をやっている人でも、母集団やサンプル抽出など、調査の前提や数値のとり方までしっかり把握できていないことがあるように思う。そこをしっかり押さえないと、間違った意思決定につながる。
第2のスキルは、要因を知るための「アナリティクス」パワーである。ベイズ統計やエコノメトリクス、マシンラーニングなどその時々の流行りはあるだろうが、これらはあくまで手段である。それらを、必要に応じて適切な使い分けをするためには、全部に通じていないと意味がないであろう。そして、成功確率を上げるためには、傾向でなく、因果関係を知ることがカギになる。
第3のスキルは、よい仮説に繋がる「マーケティング」ナレッジである。先人たちによって「すでにわかっていること」をわざわざ繰り返してしまう無駄を避けつつ、新たな発見につながるアイデアを得るためにも、文献などにより、マーケティングやその学際領域、例えば感性工学や行動経済学など、幅広い知識を十全に得ておきたい。
第4のスキルは理論とデータと知見を総合して、興味をかき立てる「ストーリーラインを構築する能力」であり、これがもっとも重要だと考えている。どんなに分析が高度だろうと、どんなに新しいフレームワークを利用しようと、それは最終的な成果からみればどうでもいいことだ。差が生まれるのは、面白く腑に落ちるストーリー(仮説)であり、マーケターの勝負どころだと思っている。
(筆者注:こちらの記事のマーケティングサイエンティストのスキルセットを具体化して示したものと言える)
こうしたスキルを使って行うべきマーケターの仕事は、「過去の傾向だけでは判断のつかない事業戦略と価値づくりにおいて、理論とデータと経験から大局的に捉え、もっとも成功確率の高い戦略を導出すること」である。これは、AIの時代であっても変わることのないものであり、ここに人間の力を集中すべきだろう。
まだ確証はないけれども確かめたい(何らかの新規性のある)事実が、根拠ある形で立証され、それが具体的な消費者の行動によって課題の解決につながることをサイエンスによって分析・立証し、練り込まれたコンセプトを最後は業界を知り尽くしたマーケターの助力でアートとして昇華(ジャンプ)させることが基本的な仕事のスキームであり、いかにジャンプを高めるかが競争力そのものであると言っても過言ではない。
コンセプトを核とした意味的価値づくりとデザイン
先に述べたように、その商品とは何か、すなわちその商品の本質的価値を一言で言い表したものがコンセプトである。
コンセプトのあるべき姿は、国や文化を超えて、誰もが「感覚的に良い」と感じられるもの(本質的価値)である。そのためには、図2に示すとおり、業界の最先端の技術や流行からではなく、「顧客は何に困っていて、それを解決すると喜んでもらえるか?」が最優先になる。
コンセプトの起点は、本質的価値以外にも、いくつかある。多くは新しい技術を何とか製品化できないか(技術シーズ)、競合がこんな製品を出してきたのだがそれに対抗できないか(競合動向)から入るが、消費者ベネフィットとの乖離(かいり)から、失敗に終わりがちである。また、iPhoneのような新しいライフスタイルの提案につながることを夢見る場合も少なくないが、それが実現できる商品にするのは極めて難しい。
コンセプトメイキングのステップは図3に示した通りだが、サイエンスアプローチは定量分析だけでは事足りない。定量データは、仮説の材料と、仮説の立証に必要だが、消費者のニーズや購買決定要因になりうる要素を同定し、競合が知らないこと、実現できないことなどを探るためには定性調査が不可欠だ。
技術要素に依拠した定量分析で差別化をしようとして、満足度の回帰分析やスペックのコンジョイント分析などを実施する例もあるが、これらのやり方を取った時点で、意味的価値づくりを放棄したものと言える
デザインの重要性と、マーケティングサイエンスのチャレンジ
さて、価値づくりの最後の障壁と言えるのは、コンセプトの具現化である。特に、デザインやプロモーションなどのクリエイティブ領域は、機能的価値と異なり、要件として伝えることが難しく、ハードルが高い。例えば、クルマというかなり高額の商品であっても、顧客がディーラーに足を運ぶのは、契約の1回分を含めて約2.6回というデータがある。すなわち、ディーラーに向かう時点でどのメーカーのクルマを買うか、おおよそ決まっているわけで、「検討段階で選ばれる」ことが重要になってくる。したがって、顧客が検討段階で触れる、例えば街中で見るクルマのデザインやプロモーショナルな活動を通じて「感じられること」が、ベネフィットを担保したコンセプトとしてしっかり具現化できていることが必要になってくる。
さらに一歩進むためには、「評価」だけではなく「要件」を抽出することである。デジタル技術の発達で、開発リードタイムは短くなりつつあるが、実際の現場では何度も試作する時間的、金銭的余裕は大きくない。したがって、効率的にコンセプトを具現化するために、「はずすべきではない要件」と「やるべきではないこと」を明確にすることが有効であり、マーケティングのチャレンジングな課題である。
「評価」であれ、「要件」であれ、顧客の感性を推定することが必要であり、その手段として、感性工学やディープラーニング、ニューロサイエンス等を駆使して取り組んでいる。
(筆者注:ニューロサイエンスの参考例。過去に書いた記事の前編と後編)
最先端の技術も、課題解決のための手段に過ぎない。意味的価値の競争の時代に、マーケターが行うべきことは、ビジネス課題を発見し、仮説を立てることである。すべてはそこから始まる。
イベント名:第78回JMRX勉強会『AI・マーケティングサイエンスによる購買確率の向上』
イベント日時:2017年8月9日19:30~21:00
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |