文:大下文輔
キャッシュレス社会が進む中国についての報道が最近目立つが、キャッシュレスやシェアエコノミーなどの利便性の背後にあるビッグデータが社会をどう変えていくのか、など注目すべき点がある。
2017年12月7日に行われたビービット主催のセミナー「デジタルUXの最先端」では、同社の藤井保文氏が、ビジネス領域であるUXの向上というテーマに沿って、中国のデジタライゼーションを読み解いた。
そのキーワードは、「信用の可視化」と新たな競争軸としての「UXの格上げ」だろう。当日話された盛りだくさんのトピックから、その点に焦点を当ててダイジェストする。
中国の急激なデジタルシフトを俯瞰(ふかん)する
中国のデジタルシフトをおさらいしておくと、人口約13億人中インターネットユーザーは53%の約7億人。普及のスピードは、2010年で34%であったことを考えると著しく、またさらなる成長の余地も残されている。
ただ、北京や上海では普及率が70%超であるのに対し、貴州省や雲南省は30%台と格差は大きい。また、インターネットユーザー中、95%がモバイルユーザーであることを勘案すると、スマートフォンの普及がインターネット利用の成長を牽引(けんいん)していることがわかる。
中国共産党の一党独裁の下、情報統制が敷かれている。全国系のテレビ放送は国営1社のみであり、インターネットでもGreat Firewallと呼ばれるインターネット検閲システムが海外のネットサービスを遮断している。
そのため有力なネットサービスに対応した国内の独自サービスが生まれ、7億人のインターネットアクセスユーザーを支えている。
具体的には、GoogleはBaidu(百度)、YouTubeはYouku(优酷)、AmazonはTaobao(淘宝網)、FacebookやLineはWeChatに置き換わるように普及している。また、移動サービスのUberもDiDi(滴滴出行)が買収してサービスを進化させている。
AlipayとWeChat–大衆化したデジタルペイメント
BAT(Baidu、Alibaba、Tencent)という中国の3大デジタルサービス企業は、世界でも有数のスマート企業である(大下注:Adweek ASIA 2017でも紹介した)。
うちAlibaba傘下のAnt Financialは世界のFintechカンパニーの第1位にランクインし、Alipay(アリペイ)は購買の支払決済としてよく使われ、また個人間の送金も簡単にできる。TencentのWeChatも同様のサービスを用意しているが、Alipayの方が支払決済によく使われ、WeChatPaymentは個人間送金で使われることが多い。
図1で示すように、Alipayは商品を売る人と買う人の仲立ちをする。C2CであるTaobaoの商品の発送と入金(支払)という商品を売る人買う人がお互いを信用できない状況では、「信用の仲介」という役割を果たす。日本で使われることがあるPayPalと同様のエクスクローサービスの一種である。1日の平均取引件数が1.7億件、ユーザー数8億人という巨大な規模を誇る。
支払方法は、すべてスマートフォンを利用し、1)アプリケーション(例えばAlipayは「Alipay Wallet(Alipay銭包)」を開き、2)QRコードを出し、3)指を置く(指紋認証)という3ステップで行う。個人間送金は、1)人を選び、2)金額を指定し、3)指を置くというステップになる。Alipay/WeChat Paymentともこうした3ステップが手順として確立されている。
公共料金の支払い、タクシー料金などの支払もこうしたキャッシュレスで行われており、上海では現金の使用は5%以下になっている。
こうしたことは、偽札が横行したり、お札が汚れていたりする中で行われていた現金のやりとりの時代から比べると、支払のUX(User experience:ユーザー体験)という点では大きな進化であり、それが普及の大きな原動力になっている。
結果としてAlipayやWeChat Paymentのような決済サービスが生活インフラ化すると、AlibabaやTencentはその他のさまざまな企業への出資や提携を行うことでユーザーの接触頻度、ユーザー数を増やすとともに、そこから得られるビッグデータを増やす形になっている。
また、提携企業としてビジネスを成功させるために、Alipayサービスのカテゴリーごとの最初のページにいかに掲載されるかが競争の重要なポイントになっているかがわかる。
信用の可視化
Ant Financialのサービスの1つとしてZhima信用(ジーマ:芝麻信用)がある。これは、Alipay付帯サービスの1つとして利用者の信用状況をスコア化するサービスで、利用者と提携企業の両方にとってメリットを提供している。
信用スコアは、次のような要因を勘案して算定される。
まずはお金に関することで、Alipayによる支払や送金の履歴から、金額や、期日を守って支払われているかなどが対象となる。
次に支払能力で、不動産などの資産状況や各種の積立金納付などが対象である。
3つ目は身分信用と呼ばれる学歴や職業、そして実名での支払を要するホテルや航空チケットや保険の支払を対象としている。
4つ目は、SNSサービスでのつながりであり、スコアの高い人と数多くつながっていればスコアが上がる。
ユーザーはZhimaのスコアに応じてさまざまな特典が得られる。例えば、点数の高いユーザーは、ホテルやシェアリングバイクサービスのデポジットや賃貸住宅の敷金、あるいはVISAの取得料金などが免除される。あるいは婚活サービスや一定金額までのローンなど、サービス加入に審査が必要なもの場合にその審査が不要になる。サービスにかかる手間と時間とコストの軽減につながる。
これは同時にサービス提供側にとってもメリットをもたらす。信用力の高い人が見極められるし、信用力がわからなかったことによって発生していた余分な業務フローをなくすことができる。また、信用力のある人にメリットを提供することで、信用力の高い人のサービス利用を促すこともできる。
Zhima信用は、デポジットやビザ承認など、それまで消費者にとって平等に不便だった世界に対して「個人への信頼によって扱いを変える」という新しい概念を持ち込んだ。その結果、消費者はますます手軽にサービスを利用できるようになり、Ant Financialと提携している企業が選ばれやすくなる。
外的な力とはいえ、この「信用の可視化」によって個人の信用を高めようとする傾向が、社会からエゴや不正を排除するという社会変革へとつながっている、というのが藤井氏の見方だ。
バイクシェアサービスに見るUXの競争
日本にも進出しつつある中国のバイクシェアサービス。Mobikeの成功でサービスが乱立し倒産が続いたが、現在プレイヤーはMobikeとofoの2つの寡占状況に落ち着いている。これらの2つのサービスの競争軸であり、生き残りの源泉はユーザー体験の磨き込みにあると藤井氏はいう。
まず、先行するMobikeはその利便性で一挙に拡がった。GPSで自転車がどこにあるのか見つけるのが容易だ。スマートフォンからQRコードを読み込んでキーを解除して乗り、乗り捨てができる。料金は30分1元(約15円)と気軽に利用できる。
ただ、Mobikeは盗まれても再利用できないような部品構成で設計されていて、サービスプロバイダーには盗まれにくいという利点がある反面、若干乗りにくい。さらに、デポジットが必要であること、審査に2時間から4時間かかるという時期があった。
これに対して後発のofoは、デポジット不要で審査が1分で終了するというMobikeの弱みを突いたものになった。みんなで自転車に乗ってどこか行こうとなったときに、Mobikeでは審査に時間がかかって即応できなかったものがofoではできる。
また、ofoは、また通常の自転車と同じ部品構成であり、サドルの調整ができるなど、自転車として乗りやすい。さらに、ofoは最初からすべてのバイクにカゴがついていることで、利便性が高かった。GPSはなく、部品も再利用できるため、製造コストは抑えられる代わりに盗まれやすいという欠陥があった。
Mobikeはofoに対抗するため、WeChatと協力してofo同様審査をなくした。さらに、カゴつきのMobile Liteを出した。カゴの便利さが認識されると、Mobile Liteが主流になり、オリジナルのMobikeは姿を消すはめになった。
ofoは欠点克服のためGPSをつけるとともに、より乗りやすくするため、変速ギヤつきのタイプも新たに投入した。
以上を集約すると、MobikeはGPSによる「デジタル体験優位」であったのに対し、ofoは「自転車体験優位」で対抗しつつUXを向上させていて、無料利用を訴求するなどした他の競合は生き残れていない。そのことは、中国のビジネスサイドの人は充分認識しており、「ユーザー体験が大事だ」と彼らは一様に強調するという。
生き残った2つのサービスは、結局Alipayのアプリでも利用しやすい形で掲載されている。
起こっているのは、全てがデジタルになった社会での、体験起点のロイヤルティ競争
シェアリングバイクの普及は、自転車というモノを所有することから、Mobikeやofoといういうサービスを利用する形態に変化している。
それに伴い、自転車メーカーも個人のための商品ではなく、サービスプロバイダーに向けての商品を製造するという産業構造の変化を生んだ。このように、モノからコトへの流れ(サービス化)がデジタルシフトによって顕著に起こっている。
ECの決済手段として始まったAlipayがQRコードを介したスマートフォンアプリによってリアルな決済手段として広がり、さらにシェアバイクやDiDiなどの生活インフラと結びついたサービス利用に拡大し、そこから得られたデータZhima信用というあらたな信用基盤へと統合、進化を遂げていく。
デジタルシフトによるこれらの変化のエンジンとなっているのは、「便利か、楽か、使いやすいか」という体験をベースとしたユーザーの便益である。それらと、前述の「オンライン、オフラインのデータ統合」というさまざまなサービス群を巻き込んだ大きなプラットフォームができると、ビジネスのありようは「データ取得を見据えた、体験起点のロイヤルティ競争」へと向かう。
中国のIT関係者は、オンラインとオフラインがデータでオーバーラップしていることから、O2OではなくOMO、すなわちOnline Merges Offlineの世界にすでに移行しているという認識が拡がり、オンライン起点でオフラインをマージする、という考え方が彼らの戦い方の中心にあるそうだ。
藤井氏は、OMOを、各サービスのUXの向上がサービス群(ブランド)のロイヤルティの向上をもたらし、それがさらなるビッグデータの取得につながり、それがUX向上に返されるというループが回るエクスペリエンスの競争社会でもある、と考えている。
Zhimaの「信頼の見える化」のような新たな社会インフラやそれがもたらす行動規範の変容が、新たなハピネスの創造につながることも期待される。
求められる発想の転換
中国で起こっているデジタルシフトは、中国という特殊な環境で起こる特殊な事例ととらえるよりは、遠からず日本で起きる社会変革だと考えるべきだ、というのがビービットの主張である。
そのためにわが国の企業に求められることは、図2にあるように、製品、サービスを競争優位を源泉としていたことから、体験品質を競争優位に切り替え、それに伴って、組織や主要KPIや業務を見直すことである。
中国が先に行っている事情の背景には、規制の緩さや、国家の庇護(ひご)や、不便から便利に切り替わることによる国民の受容度の高さなどがあるだろう。ただ、これからは体験品質競争になるという本質を見据えることが、日本の企業にも求められていることはどうやら確かだ。
イベント名:<ビービットセミナー> デジタルUXの最先端 – UX向上の新手法と中国先進事例
日時:2017年12月7日
記事執筆者プロフィール
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株式会社スペースシップ アドバイザー 大下 文輔(Bun Oshita) 大学では知覚心理学を専攻。外資系および国内の広告代理店に18年在籍。メディアプランニング、アカウントプランニング、戦略プランニング、広告効果測定のためのマーケットモデリング、マーケティングリサーチの仕事に従事する。またその間、ゲーム会社にてプロダクトマーケティング、ビジネスアライアンスに携わるとともに、プロジェクトマネージャーとしてISPやネットワークビジネスの立ち上げに参画。 |